Sub-SemB 佐藤恵子『ヘッケルと進化の夢』(工作舎 2016)

佐藤恵子『ヘッケルと進化の夢』(工作舎 2016)

B班メンバー:関根・池田・富山・河野・今

こんにちは!M2の関根です。更新が遅くなってしまいましたがサブゼミB班で取り扱った佐藤恵子著『ヘッケルと進化の夢』についての報告です!

◆以下に本のまとめ・要点・感想・次回についてまとめました!

 

 

■第一部第2章 一元論と『有機体の一般形態学』

ヘッケルの一元論は、スピノザの汎神論とダーウィンの進化論を掛けあわせたものである。精神は万物に宿り、その精神の発達とともに、形態も併せて変化(進化)していく。つまり、無機物にも未発達な精神が存在し、その発達とともに、下等生物、高等生物、ヒトとなる。これは、キリスト教的創造説からの脱却を目指している。

 ダーウィンの進化論により、あらゆる現象が機械的に説明できるようになったとヘッケルは言う。しかし、進化とはそもそも実験ができない仮説でしかない。ならば、すべての現象を機械的に説明することはできないのではないか。実際にそういった批判が生まれたが、ヘッケルはこう主張する。それは時代の制約のため仕方のない事であり、いつか解決されると。

 ヘッケルはその後、帰納法演繹法、検証を組み合わせた総合的な方法により、進化論の証明を目指す。その最たる例が系統樹であり、その他様々な進化に関する仮説をたてていった。問題は、それらの仮説を理論として扱い、その上にさらに仮説をたてていくという性急な態度をとったことだ。

 

■第二部第1章 魅惑的な生物発生原則

『有機体の一般形態学』でヘッケルは、一元論的な自然像の確立を目指した。

しかし、当時の技術では過去の生物の調査は困難を極めた。そこでヘッケルが発明した強力なツールが生物発生原則である。

生物発生原則 ― 「個体発生は系統発生を繰り返す

ある生物個体の胚発生はその生物種の辿った系統発生(進化の道筋)を反復する、という説である。

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この強力なツールにより、観察できる個体発生のプロセスから祖先形態を観察可能となり、さらに、想定した祖先の存在が証明されれば、仮説も生物発生原則も正しいものになる、というわけだ。余談ではあるが、「個体発生は系統発生を繰り返す」という理論は、現在においても完全否定することはできず、依然として研究が進められている。

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反復のメカニズム ― 系統発生が個体発生に再現されるのはなぜか?

個体発生の形態変化は、二つの相反する「形成本能」(=形態形成力)の相互作用の結果生じると考えた。

・内的形成本能 …「遺伝」のこと。形態維持の上で重要。

・外的形成本能 …「適応」のこと。形態に独自性や多様性をもたらす。(しかも獲得した形質は遺伝する)

各動物の形態形成に不可欠な基本的形態ほど遺伝によって保持され、個体発生の早い時期に現れる。

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■第二部第2章 ミッシングリンクの夢

 ヘッケルの目標は系統樹の完成であった。そのツールとして生物発生原則(個体発生は系統発生を繰り返す)があった。ただ、化石の少ない時代において系統樹の根の方には、どうしてもミッシングリンクが現れる。

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ミッシングリンクとは、進化の途上において推測されうる仮定の生物で、発見されていない中間の化石のことである。ヘッケルにとって系統樹の信憑性を高めるための仮説である。

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ここでは、ヘッケルの想定していたミッシングリンクを巡る物語として、無生物から生物の中間形としての「モネラ」、類人猿からヒトへの中間形としての「ピテカントロス」の2つが取り上げられる。

どちらの物語においても、ヘッケルの書物から影響を受けた人物がいて、ミッシングリンクを見つけたという発見が報告されるのだが、やっぱりその報告は間違いだったという結果に終わる。ここで、そういった新発見に対しては様々な学者によって極めて真剣な真偽の確認への取り組みが行われるということが述べられている。

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その物語の中では、フィルヒョウという科学者の慎重な態度によるミッシングリンク発見に対しての批判が外れたことも挙げられる。人類化石が少なく、地層年代測定法も未熟であった当時の状況下でフィルヒョウが科学の不十分さに足をとられ真理を見落とし、仮説の上に仮説を構築していく楽観的なヘッケルの力が科学を推し進めたというのは、まさに歴史の皮肉だということも述べられる。

また、当時、否定が証明されていた「自然発生」に対して、ヘッケルはその否定が部分的であることを突いて、「自然発生」の「無生発生」を用いて論を進めていく。しかしその「無生発生」は否定されていないが、肯定する事実がなかった。証明しようにも実験すらできない状況であった。著者はこれを19世紀の知的状況の限界と指摘する。

 

■第二章第3章 科学の自由について

 ここでは進化論者対創造論者の対立ではなく同じ科学者同士であるヘッケルとヘッケルの師であったフィルヒョウの二人の対立を見ていく。

事の発端は1877年に行われた第50回ドイツ自然科学者医師学会でヘッケルが発表した『総合科学との関連における今日の進化論』という論文で、“進化は真理”という立場から二元論に対する一元論の勝利を高らかに宣言し、教育におけるまで進化論を基盤とし真の宗教として位置づけるべきだと論じたことからであった。

それに対しフィルヒョウは“進化は真理ではない”“科学者は思弁的な分野と確証ある分野の境界を明白にするべきだ”と科学者としての在り方を提示し、仮設を基盤にして論じる一元論的進化論を推し進めようとするヘッケルに対して真っ向から反対した。

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特にフィルヒョウの論は隣国フランスで起きたパリコミューンのような革命運動に起因している。パリコミューンは進化論に類似した理論(マルクス主義)が引き起こした恐怖であると述べられ、また革命の反動で生まれる政策により科学の自由が奪われることにも恐怖を感じていた。

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さらにフィルヒョウの反論に対しヘッケルは再度反論することになる。マスメディアによる報道の捻じ曲げやフィルヒョウの論を利用してヘッケルを攻撃しようとした教会側への対抗であった。

ヘッケルとフィルヒョウの論争は単なる科学理論という立場を超えて当時の政治体制や社会思想、報道などの複雑な文脈にからめとられて生まれた論争であった。フィルヒョウの反論もむなしく、教会分離が進む中で進化論が従来の宗教的な世界観の崩壊に拍車をかけ、一元論はいわゆる代替宗教となって市民達に必要とされていくのであった。

 

■第二部第4章 ドイツ一元論者同盟と教会離脱運動

1871年のドイツ統一後、国内の主な政策として1.カトリック教会の容認 2.社会主義勢力の抑圧が挙げられる。前者は進化論に対する反動的な政策であり、後者は進化論を含む革命的思想とみなされ、そのどちらもヘッケルにとっては不利なものとなった。しかし、1899年の『宇宙の謎』出版を機に市民からの支持を得るようになり、1906年、ついに「ドイツ一元論者同盟」を設立するに至る。

 「一元論者同盟」の下部組織である「無宗派推進委員会」は、国民を教会から解放することを目的とした団体であり、ヘッケルの目指す「国家と教会の分離」や「学校と教会の分離」を実現しようとした。そのために、それまで距離を置いていた社会主義グループとも手を組んだ。

 その後多くの人々を教会から離脱させることに成功したが、1919年、ヘッケルの死とともに、「一元論者同盟」は事実上活動を休止することになった。

 

■第二部第5章 ヘッケルの人種主義と優生思想

ヘッケルは一元論的進化論から「人種主義」と「優生思想」という考え方も持っていた。

 まず、ヘッケルの「人種主義」がどのように言説から見られるかが具体的に説明される。現生の人種には優劣の差があるということ、進化を考慮すれば人種間に生命の価値の差があって当然だというようなヘッケルの考えが挙げられる。

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ヘッケルのこのような思想は、しばしばナチスの蛮行の思想的基礎を準備したとして語られることがある。その路線の一人として、ダニエル・ガスマンが挙げられる。著者はここでガスマンの「ヘッケルが反ユダヤ主義だ」という批判の際の指摘箇所を取り上げ、本当に反ユダヤ主義者だったのかを検証し直す。そして、そのヘッケルの言説は、一部のユダヤ人に向けられたたものであったり、皮肉たっぷりの教会批判だったとして、ヘッケルは反ユダヤだったとは明言できないとする。

 また、ヘッケルの「優生思想」の言説として、新生児の選別、犯罪者の死刑肯定、精神病患者や不治の病人の安楽死是認、自殺肯定と4つに分けて見ていく。

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 そして、ヘッケルの社会観が、「全体」の健全な存続のためには「部分」の犠牲はよしとする思想として、いともたやすく読み替えがきくことが問題だとして著者は指摘する。

 遺伝理論やヘッケルの提唱した生物発生原則を含むダーウィンの進化論を人間や社会に適用して解釈しようとする「社会ダーウィニズム」という大きな思潮が、信憑性が低く、間違った部分もあったにも関わらず、顕著に広まった。それは、社会の仕組みや価値観が大きく変化する19世紀から20世紀への転換期に、人々の不安定な心の隙間を埋めるような何新しい、熱狂できるような哲学が求められたからだということが述べられている。

 

 

◆以上が今回取り扱った本の内容です。かなり長くなってしまいましたので、要点を絞ります!

①ヘッケルの掲げた一元論とは、スピノザの汎神論とダーウィンの進化論を掛け合わせたもので、森羅万象を本質的な差のない「一つのもの」だと考えた。それらを構成している原子や分子も共通であると同時に、すべては無機界に通用する物理・科学的法則に支配されている。彼は、その一元論的進化論のもと、系統樹の完成を試みた。そのツールとして生物発生原則を用いたわけだ。ただ、化石の少ない時代において系統樹の結節点に、ミッシングリンクが想定された。

②その一元論的世界観の確立を目指していく過程で、カトリック教会との反発が生じた。教会支配から脱却した世界を創出するために一元論者同盟が組まれた。また、ナチスの人種差別的・優生学的な見方につながるような危険な思想の基盤を用意したとする説もある。

③また、当時は、領邦国家であったドイツが一つにまとまろうとした時代であった。さらにダーウィニズムに基づくキリスト教の世界観への不信感の高まりから、自分の存在の説明体系を見失い、世間は混乱していた。つまり、キリスト教に代わる新たな宗教が求められたのである。そこに合致したのがヘッケルの一元論的思想であった。

④現在の科学的視点からみれば、ヘッケルの一元論的思想は仮説の上に仮説を構築しており、彼の理論は穴だらけであったといえる。一方で彼の楽観的かつ精力的な活動は多分野の科学を発展させるとともに、それに基づく一元論的哲学という道を示しえた。

◆班での感想

この本の一番のポイントは時代(ドイツ統一がなされ、さらに教会の権威も失墜しつつあった)と科学との結びつきだと考える。生物発生原則をツールとしながら、無機物も有機物も全て系統樹の上に乗っていてその先端にいる人間が中心の世界を、汎神論的一元論で全て説明しようとする未完な論が人々に熱烈に受け入れられてしまったのも、動乱の時代にキリスト教に代わる宗教を人々が求めたからであろう。

またヘッケルの思想が一般の人だけでなくあらゆる知識人からの批判を受けるまでの注目の的となったのも、他の科学者から見ると仮設に仮設を上塗りした論を展開するのは不誠実・不確実・脅威だと思われた理論の組み立て方にあったのだが、実際はその理論の組み立て方が科学の学問を推し進めることになったというのも皮肉である。そう考えると必ずしも「実証」によって学問が進むわけではないことがわかる。この時代では「理論」が科学に目標を与えた結果、科学を推し進めたということになる。班ではこの科学の危うさを感じて、ニヒリズムに陥りそうだという声も上がった。それと同時に何が正しいか自分で判断して生きていくことが大事だという感想もあがった。

 この「理論」「実証」に関してヘッケルと対立的だったのはヘッケルの師であるフィルヒョウであった。ここでの驚きはサブゼミ当日にも議論に上がったが、ちょうど一回りくらいの歳の差でありながら科学者としての立場が全く違うことである。それは10年間というわずかな間にも時代が大きく変わったことが影響しているのではないかとの話もでた。

この本を読んで改めて思うのは、社会学の誕生や自然科学の発展はほんの100〜150年ほど前であり、現在当然のように捉えられている理論自体もあと50年もしたら大きく塗り替えられることだってあるかもしれない、ということである。

 

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この本にも登場するユクスキュルの環世界について扱いたいと思います!!