サブゼミB班3回目 

 地形班三回目は、地形について大きく2つに分けて考えるところから始めた。

学術的な地形の記述:専門的な地形の形成、変容、性質について理解すること。→「地形は、人の認知できない、巨大で緩慢な変化のスケールを持つ。」 

②人間生活と地形の記述:人間が地形をどのように認識し、利用するかについて理解すること。→「地形は、人により認識・解釈され、人間的社会関係の中で能動的に扱われる。 」

 上記の2点を決定的に分けるのは、人が認知できるかどうかである。実際の地形は相互が様々なスケールで密接に関わりあっているはずだが、あえて両者を分けて考えることで、それぞれの輪郭を明確にすることができないかと議論した。

発表では、双方それぞれに関して以下のように書籍を設定した。地形に関する発表全体の枠組み(議論の基盤)を想定することが難しく、各書籍の紹介に留まってしまったことは反省点であった。

No.1 『地形の説明的記述』W.M.デービス(1922)  水山高幸 守田優訳(1965) 大明堂 ①

No.2 『景観のなかの暮らし 生産領域の民俗』香月洋一郎 (1983) 未来社

No.3 『東京の自然史』 貝塚爽平 (2011) 講談社学術文庫

No.4 『東京「スリバチ」地形散歩』 皆川典久 (2012) 洋泉社

No.5 『アースダイバー』 中沢新一 (2005) 講談社

主に前者二冊について紹介する。No.1が①、No.2が②に相当する。

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No.1『地形の説明的記述』W.M.デービス(1922)  

 これはおよそ百年前の地形の学説である。「地形輪廻説」とも呼ばれ、現在の地形に関する大枠はこの説によって形成されたと言っても過言ではない。

 「地形輪廻説」にてデービスは、隆起した地形が河川や風化による浸食の作用で徐々に削られ、やがてその浸食作用が衰え平坦になったところで再び隆起し、同じサイクルを繰り返すと論じている。この論理の中でデービスは地形の各段階を「幼年期」「壮年期」「老年期」(参考地形:それぞれ吉備高原、日本アルプス阿武隈山地)と呼び系統的関係として扱い、成長/発達とその輪廻のサイクルとして説明している。

f:id:aoi-lab:20140726213824j:plain図1.地形輪廻説概念図

 

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図2.地形輪廻説模式図 (http://www.staff.amu.edu.pl/~sgp/gw/wmd/wmdfig.html図を編集)

ここで注目したのは、地形がある一方向性を持った作用によって形成/変形され、大きなサイクルの一断面として観察できることである。この浸食作用をベースとしてどのような地形が生まれ、またその論理を攪乱する作用はなにか、と考察することで地形を一段と捉えやすくなるのである。地形学においてもデービスの系統的関係性に基づく地形の記述は現在も用いられており、その批判により地形学が発達してきた側面が想像される。

 

 基本的な地形の発達(一般的性質)/各段階の地形的特徴(系統)/作用(外力・インパクト)の三点から地形を記述する方法は、僕らの認知のスケールを空間的・時間的に遥かに超えたものであるが、同時に生物の進化やインビトロな都市論と基盤を同じくできたことは大きな収穫であった。また水路の建設、土地の造成など人間の地形に対するインパクトは「地形輪廻説」においては攪乱作用であり、そのような相対的な見方は巨視的な地形論と都市論との回路となる。

 

No.2『景観のなかの暮らし 生産領域の民俗』香月洋一郎(1983) 

 民俗学者である香月氏は様々な集落を回り農業の水利システムを観察することで「むら」(同じ水利システムの中にある集合体)の世界(関係の範囲)と入植当時の様子を考察し、自然との密接な関わりをもつ集落の在り方を記述した。

彼の着眼点は「どのように農業用水を引いているか」である。

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f:id:aoi-lab:20140726214627j:plain図3.ある「むら」の水利システム(『景観のなかの暮らし』より

図3は「むら」の水利システムを図式的に示したものである。図の両サイドに描かれている谷からの取水を基本とし、中央の河川に排水する。河川から取水することもあり、技術の発展に伴い出現してきたものと想像される。

ここで香月氏は河川を中心として東と西の取水方法の違いに目を向ける。西部の取水関係は谷水を基本とする水利システムである一方で、東部は谷水に頼るかたちで開田が始まり、後に井堰が築かれ川からの取水が作られたように、川からの取水を中心とするシステムである。

これらと土地所有図を比較すると、東西の所有形態も大きく異なっている。西部では比較的大きさの等しい数件の農家が数枚の水田を所有している。東部では同じ家筋の農家が大きな山を持ち、屋敷、水田を拓いている。つまり、大きな力を持つ人が入村し山を背負うようにして広く土地を開拓していったのである。

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図4.西部の土地所有(『景観のなかの暮らし』より

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図5.東部の土地所有(『景観のなかの暮らし』より

水利システムと土地所有から香月氏は、「土地の傾斜、それに伴う開拓範囲の広さ、谷水の制御可能の程度、高地への日当りなどの面では、家単位の力で開拓して住もうとすれば西のほうがはるかに優位的であった。」と地理的側面から推測し、この村の母体を西側であるとする。その地理的優位性を持った西側の農家は、対岸に遥かに大きな土地を持った者が住みついた後も住みかたの様式を保てたことを指摘している。

 

 当地域はデービスの地形分類では「老年期」にあたる。この時期の地形は小山がたくさんの小さな谷筋を形成し、人々はその谷に寄り添うように集落を構えていた。しかしそういった記述に留まらずに香月氏の観察によって、生産における人々の地形との密接な関係が浮き彫りになった。地形がその特性のままに人間に認知され、結果としてむらの社会的結合が形成されたように、人と地形との関わりがどのように潜在しているかをこの書籍は教えてくれる。

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 以上2書籍を紹介することで巨視的なスケールと人間的スケールにおいて地形を記述することができた。後半の3書籍の発表においても、No.3にて東京の地形を記述した後、No.4では地形と土地利用の関係についてと、No.5において人間の地形の認識の仕方を抽象的な民俗学的視点から地形を観察していった。地形を人間の認知を基準にして2つのスケールから観察することで、逆に地形と人間の関係が接続する回路を垣間見れたと感じている。それは単純にある地形の上に人が生きていることや、地形的特徴を人が利用しているなどといったことではない。大きく、緩慢な変化をする地形的営みの中で、その影響を存分に受けながらも、人類自ら地形的意味を見出し社会的、文化的、生産的に読み替え利用しているというような、長大な時間軸をもつ地形と人間の営みの出会いである。その出会い方をいかに観察するかということが「景観」(B班第2回ブログー雑感ー参照)を記述する上で重要である、というのが現時点での学びである。