11/27 D班ゼミ

11月27日はD班のゼミ発表でした。

 

 ひかる「ナショナリズムと表象」

他分野の芸術と建築が一体となって一つの表象(国家様式など)をつくっていく中で他の芸術と建築の関係、特にフォルマリズム的観点からその影響をみたい。ww1後ファシズム台頭→この時代の建築家はイタリアファシズムのヴィジョンをいかに代理表象できるかという視点があった。その中で「イタリア性」はどう表現されていったのか。

今回は北川佳子『イタリア合理主義—ファシズム・アンチファシズム』(鹿島出版会)を参考に、イタリア合理主義時代の思想をまとめた。

①イタリア的なものの探求として歴史に戻る、②イタリア的=合理主義(近代的なもの)を上手く一致させるための視点を見つける、③近代建築の合理性をそのまま取り入れる、3つの流れがあった。

 

 

・ロベルト・ロンギ「キュビズムに対する未来派の課題はルネサンスに対するバロックの課題に相当する」とはどういう意味か、、

未来派=動き、速度に対する表現の複層化を目指す、バロックルネサンスのマッシング(ボリュームの構成)的なものに対してどう動きを表現するか

 

・グルッポ7は何を目指していたのか

  モダニズムを歴史重視(古典主義)のイタリアに移入することを目指す

  ファシズムの台頭に則ってファシズムを表象できるのはモダニズムであるとしてイタリア的なものとモダニズムの合理的なものを一致させるための視点を模索

ドイツは新古典主義的に、日本は国家に対しての建築表現には無関心(のちに帝冠様式など呼ばれることがあるが国家の表象ではない)、それに対してイタリアはかなり複雑(合理主義の使われ方が色々ある)

合理主義(rationalism)ration:割合→プロポーション

ローマ建築、ギリシャ建築が元→ルネサンス数的秩序の意識化

イタリア合理主義の場合、合理主義が経済合理主義(近代的な意味合い)で使っている場合と自然主義的な数的秩序からの接続的な意味合いで使っている場合がある。

堀口捨己などが近代建築と日本的なものを接続させたこととパラレル

 

・古典主義派とイタリア合理主義が統合されていく流れはあるのか

 一部古典派とイタリア合理主義が接続することはある

 

関東大震災後帝都復興で経済的合理主義的建築がかなり入ってくるのに対し、その次の世代である丹下が批判など、日本における合理主義の理解なども面白そう

 

ゆいちゃんと滝口さんはお休みでした。

 

棟方