サブゼミA班 2回目
港千尋『洞窟へー心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房2001)
筆者港千尋は、洞窟の持つ魅力に惹かれ、紀元前3万年前に描かれた洞窟壁画に本能的に感動させられたことをきっかけに洞窟壁画の謎に迫る。
1章 ”新しい洞窟の発見”
洞窟壁画の調査方法に大きな変化が起きたのは、1985年コスケール洞窟の発見であった。コスケール洞窟は海底から発見され、海面上昇により入り口が封鎖されたことによりこれまで発見されていた洞窟よりも保存状態が良いため、壁画に用いられていた顔料から年代の特定を可能にした。これにより複数回に分けて、描かれた可能性があることが分かった。しかし、この調査方法は、保存状態に左右されるとともに正確な測定が難しい。そのため従来通りのブルイユ神父とルロワ・グーランが行った年代測定とスタイルから調査行った。グーランは、壁画をひとまとまりの集合として捉え、支配している何らかの規則で洞窟全体を構造化されていると考え、洞窟の再調査を行った。
また、従来の研究では、芸術や美術の起源と言われているものを当てはめ、洞窟内の凹凸からイメージを得て、そこに自らが持つイメージを「投影」することで描かれていると考えられていた。しかし、洞窟内に動物に似た形があり「投射」によって掘り出したには、規模が大きく、偶然にしてはコントロールされていた。形をみるプロセスは必要な過程ではあるが現代に伝えられている芸術を生みだした起源ではない「光源」よりは脳内にあるプロセス「選択」と「反復」である。
2章 ”投射という現象について”
アルベルティ・ゴンブリッジ・ギーディオン三者の旧石器時代美術の起源説とプリニウスの美術の起源の神話は全く異なる意味に使われているように見える二つのプロジェクションは投射の方向が違うだけであると主張している。
またこの投射は芸術の生産においては必要なプロセスではあるが、起源ではないとしもっと複雑なプロセスがあると示唆して4章につなげている。
3章 ”ネガティブハンドの可能性”
洞窟の中でみられるものとしてネガティブハンドを紹介しこれについて考えることで洞窟内でみられる点・線・形などの図像は表象の表現ではなく複雑なプロセスを内蔵したなんらかの秩序なのではないかとしている。
4章 ”選択・反復・淘汰”
洞窟にはみられることを想定していない洞窟画が存在することから、これらの存在が鑑賞とは全くべつのプロセスの存在を示しておりこれを考えるために記憶の問題を提起している。
ここでイメージの起源に変異・反復があったとするバタイユの考えを紹介し、この考えと「選択・反復・淘汰」という点で共通点があるとしてニューラル・ダーウィニズムを紹介し記憶とは過去に獲得された知覚のカテゴリーが変化を伴いながら繰り返されることであるとしている。
5章 ”痕跡から意味の持つ記号へ”
アフリカ南部の狩人の知のあり方と考古学の科学的知のあり方は本質的な違いはなく推論的パラダイムは人間の知的活動の基本的特徴であるとするギンブルスの論から痕跡がどのように意味を持った記号へ読み取られるのかを考えている。
痕跡を意味を持った記号へ読み取る際には観察者を導入し三項関係として考えることで観察者により様々な解釈生まれるという不定的で非規定的な性質こそが記号としての痕跡の本質であるとし、この三項関係における間違いを含む結果の広がりを記号論的自由とよぶホフマイヤーの考えを示している。
また、反復される知覚のイメージがどのように脳内で作られるのかをトゥレールの研究から説明している。
6章 ”身体としての洞窟”
ショーヴェ洞窟において発見されたことを紹介し、そこでは洞窟という空間にダイナミズムを与えるために図像を配置し、また空間からダイナミズムを与えられて図像を描いていると説明している。
また、創造性と芸術の起源を心理学的観点から考察した論を説明している。
それに加え、洞窟芸術の背後に隠れている構造について考察し、洞窟芸術においての主題は何かを表象するためのイメージでなく「運動」であり経験としての洞窟についての考えを主張している。
7章 ”予感の力”
1~6章について軽くまとめた上で、7章では洞窟から一度離れて1~6章とは違う角度からオーリニャック期における動物と記号の登場を検討している。
内在光・サン族のシャーマン・予感の力の例はテオーリアという古代ギリシャの言語にみられるような2つのものが等置されるという考え方では同じであると考えている。