ゼミ発表M2_0926
まずは青井先生より
- 修士論文、卒業論文に向けては、広く構えて深く掘ることが大事
- 修論→年内には目処をつけたい
- 卒論→体育会系的に作業をやり切ることが大事
- 卒業設計→とにかくエネルギーをかけて手を動かすこと、悔いが残らないように
- M1→就活が始まるので今のうちにやれることをやる
- 博士→それぞれの進行にしたがって修論以上に大きな骨組みをつくっていくこと
中間発表
M2:10月6日(土)
M1&D:12月7日(金)
・なぜ明治大正期がメインなのか、この時代に絞った要因は?
→菊富士ホテルを扱う上でこの時代は抑えたい。明治大正期に人口が都心に流入することに注目したい(江戸時代には下宿はなかった)。戦後の高度成長期までは手を広げ過ぎかと。文化人との関係も明治大正期が面白い。
・新聞記事で海外の下宿がとり上げられた背景は?
→エッセイとして書かれたものが多い。朝日新聞がかかえているライターが海外にいった際に下宿シリーズとして執筆していた。
【コメント】
新聞記事を海外の事実としてとらえるのは危険。なぜそのような報道がされて、なぜ読者が求めたのかという文脈の方が重要。新聞社としてはこうした記事に需要があると捉えていた。当時の新聞の立ち位置をふまえて複数紙の記事を紹介した方がよい。東京のローカル紙もあつかうべき。
・3章の位置について。「ホテル」と「下宿」という言葉の一般的なイメージの違いがこの研究の発端にあると思っていた。3章がこの問題をあつかうのであれば、より前の方に置いてもいいのではないか。(「言語」→「ことば」or「語彙」で良いのでは)
→まず1章で制度を話をして、制度をうけた取締を2章で書きたい。そうすると3章はこの位置かと。
【コメント】
明治以降の家・宿の形態のとしての「下宿」の立ち位置を明確にする必要がある。序章では明治の前後についても触れるなど。現状の目次では歴史のダイナミズムが失われている。なぜ下宿が現れてどう変化していったか、そこにもう一歩つっこみたい。今回の1-7章を圧縮した序章を用意して、その後に歴史のダイナミズムをとらえるための具体的な現象をあつかう(cf.靖国参拝や明治天皇の崩御と利用者の関係など)。取締の問題をあつかうのであれば治安維持と下宿の関係をとりあげると、下宿に対する新しい意味づけが出てくるかもしれない。下宿というものについての通時的な変化を捉える章があると、現代の問題にたいしても射程のある研究となる。もちろん現状の地道な作業を進めることも大事。
佐多稲子全集(全18巻)を読破。3巻までは時系列で書かれているが、その後は回想が増えて行くので、時系列ではなく作品の内容やカテゴリーで整理していく方がよいと現状では考えている(主に3章)。
【目次案】
- 序章:背景・目的・方法
- 1章:佐多稲子について(生い立ち、作家としての特徴)
- 2章:稲子にとっての「家」とは(戦前・戦中・戦後)
- 3章:ある都市の一画から見る人々の生活(①『一連の長屋』②『一袋の駄菓子』③『移り変わり』④『乾いた風』⑤『ガスの臭い』)
- 結び
【質疑】
・戦前と戦後で語り口に違いはあるか?一人の作家の記述の変化を捉えると都市が捉えられるのでは。
→語り口は変わっているはずだが、描かれ方はそれほど変わっていないように思う。
・作品の読み方を固定した方がいいのでは。作家のモチベーションをもとに作品を読み取ると、価値観がどのような描写につながっていったかなど、読みが深まる。
→あまり変化を感じられなかったので内容で分けた方がいいのかと……。
・佐多稲子は何のために文学を書いていたのか?創作の動機は?
→そこまで強いものは感じられず、大衆に寄り添った人という印象が強い。戦後は戦争責任を問われ、自分が大衆化してしまったことへの反省が描かれている。隣の家は戦争に行かなければならなかったのに、自分の家は作家として活動していて裕福だったために戦争にいかずに済んだ。そのことに後ろめたさを感じて東南アジアに慰問に行ってしまったことを悔いていた。
・佐多稲子はなぜ小説を書きはじめたのか?
→女中をしていた喫茶店に『 驢馬( ロバ)』の人々が来ていて、薦められて書いたのが最初。窪川鶴次郎を好きになったこともきっかけ。
【コメント】
執筆の最初の動機は、窪川鶴次郎の所属するコミュニティに参加したいというモチベーションからプロレタリア文学の方法をトレースしていた。その後、どこかの時点で自分自身を自覚する必要が生じて、身の回りや大衆に向き合うことになっていったのでは。フェリックス・バロットン(1865 - 1925)という画家は、室内ばかりを描く。丸いテーブルを囲んだ人たちの緊迫した関係が描かれる。インティマシー(親密さ)にはポジティブな意味合いもあるが、逆に親密すぎても緊張感が高まる。バロットンが描いているのは後者で、佐多稲子が描く近隣もそれに近い。彼女自身、微細な差異に緊張を感じて疎外感を覚えてしまう。また、自分自身で主体的に生活を切り開いて行くタイプではなく、出会った場所や出会った異性に流されて行くタイプに見える。その他のプロレタリア作家と比較したり、マッチョなマルクス主義の世界からズレていった作家を数名とり上げられるとよい。
・グリッドの定義をどう考えるか?
→定義はまだ曖昧だが、矩形グリッドから延長した不整形なものは部分的に含んでもいいのではないかと考えている。
・②は①に近いという判断は疑問の余地なし?つまり②になるのは具体的にどういう場合が想定されるか。①は農地を耕地整理する場合。③と④は既存集落の近隣をグリット化するときに軸を継承する場合。
→具体例を見ながら考えて行きたい。
【コメント】
①−⑤は、幾何学の条件をひとつずつ外していくものとして設定されていて、条件としてはこのくらいドライでよい。これがどのような条件下で実現するかをこれから調べる必要がある。具体的なケースをみていくと、周辺状況と輪郭の形態の関係が見えてくるはず。ケーススタディを当てはめて経験的なものを捉えていくことも今後は必要。
・年代分けの根拠は?幅が一定でないのが少し気になる。
→徐々に都市が広まりつつある1910年代をスタートとし、関東大震災後に膨張が加速することを一つの区切りに、戦災後をもうひとつの区切りに。
【コメント】
まずは機械的に5年や10年刻みで走らせてみる手もある。30年代は戦時体制に入って行くので、工場体制と労働者の町の形成が進んでいく。戦後は50年代の半ばまでほとんど動きがないはず。それ以降にようやく郊外の宅地化が始まる。つまみの刻み(解像度)を変えることによって現われるニュアンスは大きく変わるはずなので、まずはいろいろ試してみて、そこから論じたいことを絞っていく。