C班サブゼミ 1回目発表報告

B4の吉田です。更新おそくなり申し訳ありません。
6/6(水)サブゼミC班の1回目の発表内容についての報告です。
課題図書:岡崎乾二郎ルネサンス 経験の条件』(文春春秋、2014年)
発表者は、市川、寺内、棟方、吉田です。

 

C班1回目の発表ではまず本の概要と付論を発表し、その後1章から3章までを発表しました。

 

●本の概要
ここではまず作者である岡崎乾二郎について少し説明し、本書における作者の意図を発表した。
岡崎は造形作家、批評家であり、本のタイトルである「経験の条件」は岡崎自身が感銘をうけたマティスやブルネレスキなどの作品が与える経験の確実性を捉え、その条件について語るためにつけたとされる。

 

●付論『信仰のアレゴリー
この付論は、本書の中で最も古い文章であり、1章から7章までの前座となるような考えが、マニエリスムフェルメールの絵画についての分析・解説の中で述べられている。

前半ではマニエリスムを「様式に対する意識」=「あらゆる様式を相対化し並列にながめる、普遍的な形式の存在を否定する態度の現れ」として、ポストモダニズム的なものとして語っており、宗教改革によって様式に対する懐疑がうまれ「表象の正しさをいかに確証するか」ということが美術史上の問題となったということが述べられている。

後半ではそうした懐疑をもっていた芸術家の一人としてフェルメールを上げ、彼の「信仰のアレゴリー」というタイトルの絵画がどのように表象の確実性を生み出しているかを分析している。

 

フェルメール「信仰のアレゴリー

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この絵画はチェーザレ・リーパの『イコノロギア』の信仰に関する次の文章の寓意であるとされる。
「信仰は、座り、注意深く見つめる女性によって表現されている。(略)…遠くにはアブラハムの姿の見えるが…」
ここで信仰をあらわす「注意深く見つめる女性」は画面前方の女性ではなく、背景の奥の壁の「キリストの磔刑」の絵を注視した時に気づくこちらを向いている真ん中の女性を指し、われわれは注意深くこちらをみつめるその女性(見ることによって、はじめてみることができる)を見て、「わたしは確かに見ている」という確実性を自分の視線に与える。
つまりこの絵画では信仰の確実性は、視線と視線、異なるレベルにある表象と表象が交換される瞬間にだけあらわれる。
フェルメールの絵画がリアリティをがあるように感じたのは、絵画の中にある各々の表象の真実性ではなく、その表象の使われ方すなわちそれぞれの表象の交換(翻訳)という作業によってえられるものだった。

 

●1章 アンリ・マティス
この章は「絵画を見たという経験の確実性はどのようにえられるのか、その条件をもった作品とはどのようなものなのか」という本書の主題について、マティスヴェネツィア派の絵画などを中心に様々なモダニズムの美術論を批評していくことで、分析・解説している。


マティス「十字架の道行き」

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この絵画ではキリストの受難の一連の出来事が描かれているが、ここでは「複数の場面からなる物語を描く時は、一壁面、一空間、一場面」という従来の絵画方法とは異なり、画面が一つに統合することを阻止し、複数の異なる場面に分離したままにとどめておこうとする2つの表記がある
 1.振られた数字  2.ヴェロニカのハンカチーフ
このような特徴から岡崎は、ここで描かれているのは、異なる場面の連続ではなく、「ヴェロニカのハンカチーフを見てキリストの受難を想起する」というその時であると考えた。

そして、マティスはこの絵で特定の時間に属する出来事の再現から絵画を解放し、想起という行為によって異なる時制を現在に統一したが、この想起(経験)が可能になるためには、それが結び付けられるべき「分離された時」があらかじめ成立していなければならない、経験の条件であると主張した。

「十字架の道行き」においてこの「分離された時」は、次のような特徴によってヴェロニカのハンカチーフだけが画面から浮かびあかってくることからもたらされていると考えられる。
・ヴェロニカのハンカチーフのみ線描が閉じた輪郭を作り出している
・ヴェロニカのハンカチーフの数字と形象の配置関係が他の場面と逆転している
→ハンカチーフの内側にも空間があるかのような効果

ハンカチーフは画面全体の平面内に従属しているのではなく、その外部にあって画面と対照し反復しあっているように見える。(現存する反復)
こうして、唯一このハンカチーフだけがそれを表象として結びつくモデルを同時に提示していることから、ハンカチーフだけが確実性をもっているように感じられたのである。

 

●2章 想像上の点
この章ではルネサンス期における「透視図法」を焦点として、アルベルティ的透視図法の手前に位置づく、ブルネレスキ的透視図法への注目と評価をし、ブルネレスキにおける秩序(形式)の具体的な構成方法を導き出している。

前半では透視図法の様々な技法上の問題と、透視図法が客観的・幾何学的な作図方法である以前に「画面を透明な窓に見立てるシンボル形式」という仮定にすぎないというパノフスキーの説があげられ、同様の認識をルネサンス期の芸術家たちももっていただろうという岡崎の見解が述べられている。

後半では透視図法におけるブルネレスキ法とアルベルティの方法や建築の比較からその意図の違いを論じている。
・アルベルティ
三次元の光景を二次元的に表現する。建物全体の秩序を正面ファサードが表示する。
・ブルネレスキ
三次元の光景と二次元の光景の差異を生み出す条件を消去する。建物は抽象的に知覚されるリズミカルな空間の拡がり。

ここでブルネレスキが試みたのは、「質量をそなえた事物と眼に見えない空間を同じ尺度の統一性にしたがわせようとすること、それによって離れている事物を同一体系のなかに組み入れることができるようにすること」だった。

こうしたブルネレスキ的方法の特徴はレリーフ作品にも現れており、岡崎はギベルティと比較してその秩序モデルを導き出している。

・ギベルティの秩序モデル
フレーム&基底空間を設定し、それを秩序の下支えとして個物群を階層的に構成する。
・ブルネレスキの秩序モデル
個物群は等価。それらが、そのすべてと等距離にある理念的視点から見られることではじめて秩序が構成される。

 

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●3章 転倒する人文主義
ルネサンス建築はアルベルティの「建築論」を根本原理としており、ヒューマニズム建築として知られているが、ルネサンス最初の建築家といわれるブルネレスキの建築理念はそれと大きく異なるものであった。この章では、ブルネレスキの建築理念を、彼の具体的な作品を通して推察している。
・ブルネレスキのサンタマリア大聖堂のクーポラ
すでに存在している事物間での比例関係を見出し、適応させた

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人文主義建築
 1.正しい位置関係による調和 2.完全なる幾何形態への還元
人文主義建築は形態の中に比例関係を見出し、必然的に前後左右全てが対称形をなす集中式の建築を好む

ブルネレスキの理念と人文主義建築の理念は比例関係をどのように見出すかという点で明確な違いが生じており、ブルネレスキの建築は個々の長さを比例関係として展開していくが、人文主義建築は対象を閉じた枠として規定し、その枠内部を比例基準に従って分節していく。
その為、人文主義建築はあらかじめ完結していることが定められているが、ブルネレスキの理念はバラバラに離散した事物間に秩序を与えることができる。
岡崎はこのように混沌の中から事後的にそれを統整しうる理念を見出すことができたブルネレスキの建築理念を高く評価した。

 

C班前半の発表は以上です。