B班サブゼミ 2回目発表

5/30(水)サブゼミB班の2回目の発表内容について。

先日B4木山(結ちゃん)&上原(よっしー)が1回目(第一章~第四章)の発表の要点だけをまとめてくれたブログをアップしていますので、そちらを見てからぜひ読んでみてください。

 今回はM2杉本(まりえさん)&M1武田(ちゃんまん)が軽めに報告を。

 

 

5.フィボナッチ数列と自然界(杉本)

1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89…

前項の2つを足し合わせていくフィボナッチ数列。これはつがいのウサギが毎月新しいつがいを生み次の月からつがいを生むと「仮定した」ときのつがいの数を求める問題が有名だと思います。(個人的に私はこの数列とリュカ数が大変好きです(笑))

 ここでこの本のテーマ「黄金比」との関係を考えると、連続する2つのフィボナッチ数の比が黄金比に近づいていったり、フォボナッチ数の下一桁の数は60の周期で繰り返されていたり、数式に表すと以下のようになり、φを内包しているなど、密接なつながりがあると言えるでしょう。

f:id:aoi-lab:20180723212516j:plain

 これは自然界の「葉序」や対数らせんを描く「オウムガイ」の殻や左右に目を持つ「ハヤブサ」の飛行コース、「銀河」など様々な所にフィボナッチ数が現れることをこの章では示しました。

 

6.ルネサンス期の「神聖な比例」(杉本)

 ルネサンス期の代表的な数学者ピエロ・デラ・フランチェスカレオナルド・ダ・ヴィンチ、アルブレヒド・デューラーは、『神聖な比例(=今でいう黄金比)』を書いたルカ・パチョーリによってつながります。「神聖な比例」であることの理由をこの書の中で以下のように述べており、

f:id:aoi-lab:20180723212446j:plain

これがプラトン哲学への興味を再燃させ、ヨハネス・ケプラーに(良くも悪くも)影響を与えていきます。ケプラーは惑星運動の三法則を発見したが、惑星と幾何学立体を強引に(確固たる根拠など何もないのに)結びつけることも行いました。ピタゴラス学派から続く数学の神聖化が強まった事例と言えるでしょう。

 

7.ルネサンス以降の諸芸術と黄金比(武田)

絵画、音楽、文学などの諸芸術に黄金比が利用されていたのかを検証していきます。

⑴絵画

ジョット・ディ・ボンドネ『オニサンティの聖母』

レオナルド・ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』

レオナルド・ダ・ヴィンチ「老人の頭部」のスケッチ

ジョルジュ・スーラ『パレード』

などに黄金比が利用されているという意見に対し、これまでの分析と同じように補助線の操作や近似値に過ぎない可能性が高いと述べています。

⑵音楽

ヨハン・セバスティアン・バッハ

ゲマトリアを用いて曲のなかに自身の暗号(BACH=14)を入れていた

モーツァルト

ソナタ第一番ハ長調」第一楽章において62小節の展開・再現部と38小節の提示部の比が黄金比にかなり近い(62/38=1.63)

といった例が挙げられ、他にも音楽に黄金比が現れるという言説があるがそれを裏付ける作曲者の言説がないことからどれも黄金比を使用していた可能性は低いと結論付けています。

⑶文学

文学については黄金比との結びつきがみられる詩に注目し、黄金比と詩の結びつきには2種類あるとしていて、

黄金比、フィボナッチ数そのものを題材にする

・J.A.リンドンの詩

・オリバー・ウェルデン・ホームズ『オウムガイ』

②形式、パターン、リズムに黄金比、フィボナッチ数を利用する

・古代インドの韻律

アーカーリャ・ヴィラハーン

ゴパーラ どの韻律も前の二つの韻律の和になる←フィボナッチ数

アカーリャ・ヘマカンドラ

などが紹介されました。

 

その後、特別編として博士後期課程の滝口さんから「ダンテ『神曲』の宇宙構造と数のシンボリズム」というタイトルの発表もありました。

 

8.数学の応用(武田)

この章では、⑴数学的問題(黄金比フラクタル)の他分野への応用 ⑵フラクタルという概念とその応用 について書かれています。

⑴タイルのように平面を覆うことのできる図形を考えるという純粋な数学的問題が物理学の結晶分野の発展につながる過程を辿りました。ポイントは、タイルについて考えることは並行投影された結晶について考えること(3次元→2次元)と同義だということで、ここでリヴィオは9章につながる「どうして数学者が後の物理学者が考える問題を先取りできたのか」という疑問をたてています。

フラクタルの考案者であるブノワ・マンデルブロの問いを追いながら、自然から宇宙にいたるまで我々のまわりのいたるとこに現れるフラクタルを紹介しています。最後にはフラクタルの考え方の応用として、ランダムに見える動きに法則性を見出(そうと)した例として太陽光子の挙動(太陽の中心からでた太陽光子は途中のガスを構成する電子や原子によってランダムに散乱・吸収・再放射されて地球に届く)や経済分野での株価のチャート予想が挙げられました。

 

9.神は数学者なのか?(杉本)

数学における美とは、誰もが共通して認識するものはないので、リヴィオは「驚き」という要素に注目することにしました。ベンフォードの法則(最上位1~9までの数は同頻度で現れるのではなく、1>2>…>8>9の順に頻度は減少していく)や面白い素数(1を317個並べた数は素数、など)の例を挙げたうえで、ではこの世界に現れてくる数学はなぜ有効性を持っているのか?という問いが立ち現れてきます。

それに対する考え方は大きく2つあり、数学は万能かつ永久不変で、人間とは独立した客観的事実であるという「プラトン主義」と、数学は人間の発明品に過ぎないという考え方である。リヴィオはどちらかの立場をとるのではなく、両方の視点を取り入れる相補性によってこの本を締めくくります。

—人間が手にしている数学は「我々の認識する宇宙」の記号化された分身であり、その有効性は人間の探求によって次第にたかまってきたのではないだろうか—

 

この本でリヴィオは、黄金比神話がいかに根拠のない、まさしく「神話」であることを一貫して述べる一方、私たちの周りを取り巻く自然界の中では疑いようもなく黄金比は存在していると主張してきました。自身の専門分野である宇宙物理学を取り上げながら、一般大衆に向けてわかりやすく(なるべく専門用語を使わないで)数学の歴史を描いており、大変読んでいて面白い本でした。私たちの思考がいかに固定概念にとらわれているのかと揺さぶってくる本ではあったので、常に「疑う」こと、立ち返ることを大事にしていきたいと思いました。

 

3回目は素直に「建築と数」について考えて発表しました(事後報告になってしまいました(笑))。また後日ブログを更新しますので、お楽しみに!