2017/5/11 Thu B班ゼミ発表

5/11 ゼミ発表 B班

相川敬介「惜礫荘の解体復元工事について」

【発表】

・惜礫荘の解体復元工事について。

 ・興味があるのは手法ではない。

 ・解体復元で保存される時間、環境、建築に興味がある。

 ・後世に引き継ぐための方法を考えたい。

【質疑】

Q:解体復元以外の方法はあるのか?

A:まだ詳しくないが従来の保存方法では風景を守れないのではないか。

  保存方法に関する考えはない。

Q:興味の方向性はどこ?

A:植栽計画図が一番印象にある、惹きつけられている。

Q:自然はなに?

A:植物

Q:今の時点でランドスケープのことを考えているように思えるがどう考えているのか。

A:風景を感覚で捉える自分がいて自然が人間にどう規定されているのかということに興味がある。

 

・青井先生のコメント

吉田五十八はとても興味深い。近代数寄屋という試みがあった。近世の伝統建築を引き継げば、近代建築に到達できるはずだという取り組みをした人物である。

柱の木割が寝殿造りより細かく、開口部を大きく壁面一面もしくは平面L字型で数寄屋ベースでやろうとしたことが知られている。構造は無理してまでもやろうとした。小壁の中に隠してラティス梁を使用している。江戸的な美学を語る上では重要。

もし惜礫荘を調べるなら構法、美学に入らないといけない。

惜礫荘をあげた以上は惜礫荘に関してのランドスケープの考え方を自分で述べるべきではないか。

本人の興味が自然と人間にあるようなことに対しては、惜礫荘はかなり人間的な人口の自然であり、手入れして綺麗に保っていることは理解すべきであるとおっしゃっていた。実在論として、植物を素材として作った庭は自然とするならば、石を使って建てた建築も自然と言えるのではないか。つまり規制されない自然はない。カンディンスキーがやった絵画自体も模倣するものではなくて実在するものとして等価であるという捉え方ができる、というような考え方と同じような気がした。

 

これからの進め方に関して。

・具体性がない。

・なんでここに木が植わっているのかみたいな具体的なことを考えればいい。

・具体性の世界と抽象性の世界をいったりきたりすべき。

・なにをやるか自由本気でやる

・経験したのはなにかもっと具体を考える

・人工と捉え、自然と差別化しているのはなぜか、人間が手を加えることをやめたら膨張し続けることは前提として理解すべき。

・自然と人間の関係

・イギリスの自然庭園と廃墟、廃墟は建築が自然化

・石川はじめさんの著書

堀口捨己は生田キャンパスをどう作ったのか

 

興味のあることが何かわからないのではなくて、調べていくうち、勉強していくうちに楽しみだったり、自分の興味がそそられるものが存在するはずなので、手を止めたら終わりではないかと思う。もし興味のあることが見つからなかったら、リサーチ量でみんなと差別化すればいいのではないか。

 

 

鈴木俊希「名付けることについて」

【発表】

・名付けることについて。

 ・観念が物にどう意味づけをしているのか、物が観念に意味づけしているのか。

 ・言葉とものの相互的な関係に興味がある。

 ・例として東南アジアのアト二族の住居をあげる。高さ、方向性によって階層をつけている。

 住居に関して部材に対して人体と類似性を考えている。柱を足、内部を女性ということに関して

 材料をみて考えたのか、足をイメージして作ったのかなど。

 ・もうひとつ日本の民家、鶴富屋敷をあげる。”こざ”と”でい”は普段使わない。ということに関し     て。なづけて神聖な場所になるのか、神聖な場所だからそうなづいたのか。平面のヒエラルキーは感じないのに同じような空間なのに言葉により空間の意味合いが違っている。

 ・言葉によって空間の意味合いが変わってしまうのではないか。

 ・また青木淳の”House H”では夫の領域、夫人の領域とすることでリビング、キッチンという機能的な意味合い以上に意味を持つのではないか。

 ・両義的な意味合いを持っていることが面白い

【質疑】

Q:こざなどの語源はなに?

A:おそらく座が含まれる。調べればわかること。

 

・ディスカッション

空間のヒエラルキーについての歴史的な背景に対する考えが多く述べられた。

原始住居は手前と奥の原理。近代住居は2軸方向がある。

納戸は性行為が行われる意味で神聖、塗り壁、開口部なしという空間になっている。

この辺のことは民俗学者などが専門的である。

大河 直躬『住まいの人類学』などを参考にすると良い。この人はヨーロッパのことを調べて隠して日本を分析した賢い人物である。

ところで鶴富屋敷は特殊な民家というポジション、つまり縦軸がない1軸構成になっている。ならば東西逆になってもいいのではないか。

 

ここから少しフーコーの話になって、近代の権力、見るということはしはい、名指すということは支配、子になまえをつけるのは支配、批判がたくさん、歴史的な実証がない、人間の本来性、良心とかもあるだろという批判などフーコーを客観的に眺めた。

 

名をつけるというのは簡単なものではない。普及しないと名がつくということにならないのではないか。

 

・名前+行為=空間

空間に実質が与えられているこの考えをしっかり考えていくのは興味深い。

 

・青井先生のコメント

言葉は単独では存在しない。絵は存在する。一つの言葉がきまると他のものもきまっていく

差異を通じて規定されていく、なんらかの関連構造がある。

 

・今後の展望

世界じゅうの民家に付けられている名前を全て調べる。

ポールオリバーの全4冊の百科事典から拾ってくるとか。

日本だけでも語源についてもみていけるかもしれない。

主人公と行為をつなげたことばについて新しい発見があるかもしれない。

 

かなり哲学よりで、深い見解が得られそうな印象である。人間の最大の武器である言葉に真剣に取り組むことは羨ましいと感じる。膨大なデータから何か物事を説明できることが期待される。

 

保川あづみ「前田愛対話集成Ⅱ 都市と文学(みすず庶民 2005)を読んでみて」

【発表】

前田愛対話集成Ⅱ 都市と文学(みすず庶民 2005)を読んでみて

 関東大震災川端康成「浅草紅団」

第二次世界大戦 佐多稲子「私の東京地図」

・高度経済成長 安部公房「燃え尽きた地図」

・小説は時代の影響を受けている。

 ・都市と文学 ドストエフスキーへの新しい視座、ペテルブルクが挙げられている。

 プロレタリア文学新感覚派について一番興味がある。

【質疑】

Q:今の興味は?

A:時代に興味にあるわけじゃなくて比較に興味がある。出来事は戦後の文学に興味。

東京が再構成されていく筆者の視線が気になる。

Q:都市の両面は?

A:消費的な面と生産的な面。

Q:都市のトータルとは?

A:路地裏の生活もひっくるめたのがトータル。全部を包含しているわけではない。自分と繋がれた場所ではなくてというところも含む意味。

Q:表現性が優先ってなに?

A:見たものを描くのではなく、西洋のイメージや自分の理想のなかでの都市が書かれているのではないか。著者の背景や経験が大事なのではないか。

Q:ロマン主義とは?

A:ルネサンスの続き、個人の視点が大事、人間中心。自分の内面によって。

主人公自体が社会から疎外されている。

Q:言葉にするときにでる違いがみたいのか

A:どのような人物の背景なのか、なかなか知られない世界を裏の世界を見ていきたいのか

Q:一つの物語にある背景はなに?

A:差異をみるからこそ差異が生まれた背景がある気がする。

差異を持って表現したのは無意識的にやっていることでも背景は関係している

著者の背景がどの差異にもつながっている。

Q:都市像をつかみたいのか?出発点はどこか。現実世界と小説世界の違いに関して、ある部屋から出発するのか、街から見ていくのか?

 

・ディスカッション

新感覚は上流階級、高等教育、高給取り

プロレタリアは労働者、生産している側、マルクス主義

都市の構造の転換があるなかで、階級の住み分けがある。これはどの国においてもあるが、フランスで顕著。そういう意味では漱石が都市像を明確に表しているのではないか。田舎から東京に出てきたものの捉えた視点。エリートの視点しか持っていなかったのではないか。これはトータルな視点なのか否か。文学において言葉としての表現によって生まれてしまう差異がある

そこに注目しているのか。

 

・青井先生のコメント

実態がない、都市は定義不能。

人々がどう都市を捉えているのか。都市計画の都市像など視点が違うと定義できない。

観念、表象されたものだから、文学においての都市について見ていっても意味がない。

この都市のこの通りはどう描かれているのか、なら比較できる。

社会的なものの見方、想像力含めて都市なのかわからない。

ある通り、お店、路地にフォーカスを当てるなら可能。

プロレタリアと新感覚は都市構造につながる可能性がある。

10’s~20’sからの文学を集めて、地図に描かれている都市をプロットしていく。

収集していって、どこにフォーカスを当てていくかが楽しいのではないか。

 

1次文献を当たるとさらなる発展が見えてきそうな感じがした。まだ自分の焦点が定まっていない様子だったので、建築と言語の面白い絡み合いが垣間見れるところを定めるとより楽しそうだなと感じた。

 

中井希衣子「稲荷信仰を取り巻く近代国家政策と都市民衆生活空間」

【発表】

・稲荷信仰を取り巻く近代国家政策と都市民衆生活空間

 ・神社、寺院、寺社以外の所有、管理

 ・祭祀集団による信仰内容の変化

 台東区における祭祀集団

 台東区における稲荷変遷

 ・今後の作業の展望

【質疑】

Q:氏子域の役割?

A:お祭りの費用の出資、定義があいまい。地域は神社を祭祀、信仰している。

祭祀が成立していたり、していなかったり、現代ではうすれてきている。

普段はないけど、お正月のときにいったり程度の利用。

Q:統括しているのは何か、今後の課題?

A:資料がばらばら、重複もある。個人が作成しているデータは重複している。

どこにも属さないデータは上野公園とか、住人がいないから。

Q:図は誰が?

A:国土地理院、住宅地図。

Q:町会と町内会は違うのか?

A:同じもの。

 

・青井先生のコメント

台東区の論文、作成元が不明であるのはこのままではだめ。

行政区分、公式なものは大丈夫。氏子域は得体の知れない情報だから続けてはだめ、問い合わせをすべき。神職を呼んでくる。アノニマス稲荷はヒエラルキーに属していない。民族的稲荷は氏神社の管轄のもとなのか。神道的稲荷はその傾向が強い。民族的稲荷は周辺の共同体のみで賄う。

お金のでかたは共同体の範囲で変わる。

 

・ディスカッション

信仰の集団があって、小さいところから形態を変えていく。淘汰されていく。

たまたま残った奴がいてなぜかやっぱ残さないといけないとなる。

稲荷は都市の中で翻弄されているはずだ。

集団の大きさの話、災害、都市改造で潰れていく。

信仰の薄れている経過を見ている気がする。

1990年200の稲荷があったが、現在は100。20年の間に半減している。

淘汰された稲荷の行き先は昇天祭、儀式をやって、神様には天に帰ってもらうことによって稲荷を潰すことができる。神社が消滅することはある。末社、摂社になっているか、昇天祭か帰っていくか、吸収するか。

 

地図の作成をすることによって現状把握がとてもわかりやすく、次に何に手をつけるべきか明確になったのではないか。自分には少々馴染みのない言葉が多く、全体像を掴んでいるようでないので、次回までにレジュメを再読し、次に備えたいと思う。 

 

滝口正明

【発表】

修験道について

出羽三山について

【質疑】

Q:今後の構想は?

A:まだない。近代に起きたことを中心にして行政の指令を受けてそれに対してどう対応していったのか、その時に起きたことから過去を見ていく。近代を見るのも、歴史を見ていくこともできる。

Q:近代はいつ?

A:1868年、明治維新から、年号が変わった時から。現代の区切りは終戦くらい。近代性とはなにか、はっきりとした区分はない。

Q:超自然主義とは?

A:空を飛べたりする。どのくらいとべるかみたいなのが羽黒山でやっていたりする。純粋な欲求としてあるのか、力をつけないといけないのか。畏敬の対象の山に入ること自体タブーだった。どういう欲求かはわからない。

Q:近代に関してなんでそんな質問?

A:修験の切断的な区分。

 

・青井先生のコメント

18世紀から近代であるという近代性について。辺境の漁村が江戸のおおきな問屋とつながっている。イワシが肥料。支配下が銚子、気仙でたった15件くらいの漁村が都市とのつながりを持ち始めた。大都市経済に組み込まれていくということから、ここに近代の基盤が成り立っていたのではないか。むかし有力だった古文書を整理することによってわかってきた。17世紀の100年に人口が4倍になっている。新田開発、肥料の開発、神社の世界、復古思想、自国の歴史に文書研究をしていたり、印刷技術によって大衆に広がっていったりしている、近代的な原理は進んで行っている。しかしそれはナショナリズムになってしまう。欧州より先にやっていたという捉え方になってしまう。ここには近代建築史と日本建築史のすみわけの議論があったりする。職能、授業など。どういう性質のもの、空間の特質など議論の仕方で変わってくる。やはり準備とか思想は18世紀にさかのぼる。

 

研究が進んでいなくても情報をしっかり整理して人に説明できる状態はいつでもできるぞという姿勢を見ることができたので、勉強になった。こちらも断片的にしか事を掴めていないので、毎回少しでも身になる事を盗んでいきたい。

 

B4 櫻井