4.18ゼミ発表 M1

 

4/18のゼミはM1のみなさんの頭出しでした。

(順番:棟方・山下・三須・大野・吉田・木山・越中)

 

 

M1棟方『都市や建築の全体性はいかに獲得されるか』

卒業設計で考えた問題である都市や建築の全体性はいかに獲得されるのかという問題を発展させて考える。都市の全体性の近くを研究する方法として、渋谷の輪郭線を描き行政上の区画からでは把握する事ができない知覚上の輪郭をあぶりだす事を試みる。

・本人の体験をもとに新しい輪郭を描こうとしているのか。そこの方法論が大事ではないか。→様々な先行研究がある(石川はじめ等)その感覚に近いか。

・先行研究に対しどう”近い”と感じるのかを考えていかなければ、議論が発展していかないのではないか。→面的把握(駅の垂直面)の部分は近いと感じられる。

・本人にとっての渋谷らしさで言語化されているものはあるのか。

・全く違うテーマは考えなかったのか。卒業設計から進展はあったか。ライフワークでいいのではないか。渋谷・岡崎乾次郎の二つの軸だけでは発展しない事が予想されるので、問題を抽出していく必要があるのではないか。

・なぜ表層と形態という問題をここでとりあげたのか。この観点を発展させて考えていくことができるか。特に議論にて共有する事が具体的な建築家や建築物などを挙げ、そこから問題を抽出していくことができるのか。特にこだわりのある部分を見つける必要があるのでは。

 

M1山下『屯田兵村の空間から読み取る、これからの地域特性』

北海道内の警備と開拓を目的として派遣された屯田兵によって形成された集落の配置基本計画を研究し、当時の意図の把握や独自の空間構成がなぜ残ったかを考える。明治25年の約200戸規模旭川兵村を例にあげ、長方形耕宅地の短辺の基準となる道路配置や道路側に一棟ずつ一線に並べられる列挙型の配置等に着目していく。

屯田兵とはなにか。

→対ロシア防衛という国際情勢の対策として派遣された侍(身分剥奪後の危険分子)。西洋列強に対し、食料生産の技術力の向上という目的などの諸条件も背景にある。

・変容のルールを調べていき、何を知りたいのか。

屯田兵の計画のルールを明らかにする事で、なぜ現在の状態で保存されているかという状況理解に到達することができるではないか。

屯田兵村のどういった部分が独特の空間構成であるのか。

屯田兵村が残っている事自体は面白いが、時代による変化はないのではないか。その上でコンバージョンやリノベーションはどのように行われていったかという観点に発展していくのではないか。

 

M1三須『メディアを介した都市の認識』

 人が都市を認識する際の媒体としての駅やメディア等に注目し、複雑な発展や形成を繰り返す都市の境界を明らかにしていく事を試みる。メディアを媒介として都市の認識を論じた『若林幹夫「現代都市の境界線-包装(ラップ)される都市と身体」』などの都市の認識論などを参照し、研究していく。また、加えて近代化以降生じた生産や消費のイメージとしてのデパートやショーウインドウが形成されていった資本の影響化にあるものを1980年代以降の社会学や都市論、鉄道発達史を参照し研究していく。

・メディアは交通メディアや情報メディアなどの内どのようなものを想定しているのか。

→都市のイメージを植え付けているものとしての情報メディアを想定している。

・若林幹夫とは異なる都市と街を分け方はなにか。

・この研究を行うと何になるのか。現実の都市空間が情報メディアから影響を受けている部分について研究をしていきたいのではないか。

・現代に限らず過去を参照し、現代を捉える方向を考えるべきではないか。

 

M1大野『デモにおける群衆の動きと空間の在り方について』

 あるひとつの場所における人のふるまいの表れとしてのデモに注目し、自らの身体を使ってのパブリックスペースの実践の成立を調査していく。デモの社会的な意義や思想について分析している文献は確認できるが、デモ行進時の人の動きや広場を占拠した際の様子を分析した文献はあまり見られないという部分を抑えつつ、台湾ひまわり運動の空間特性、既往研究デモが起きている場所(通りや広場)との関係を分析し、明らかにしていく。

・デモのどの部分に興味があるか。

→デモが対象である必要はなく、デモ空間展開のされ方や目的意識を持っておこなっている活動としてのデモに注目している。

・自然なふるまいと計画されたふるまいの比較としても行える。その上でなぜデモを選んだのか。

 

M1吉田『イデオロギーの伝達としての建築と近代化』

 建築における宗教や権威などの思想の表現やイデオロギーの伝達としての建築を捉える。非人道的な制作物であるような印象を持たせるゴシック建築の共感性の強さから発展させ、多数視点小説としてのドストエフスキー作品や鑑賞者に様々な視点を持たせる脱中心的なバロック建築などを対象に考える。

イデオロギーとはなにか

→これが正しいのではないかと人々が考える(考えさせる)観念体系といったイメージ。

ドストエフスキー文学の構造としては多中心であるが、実は宗教信仰の二項対立であり、

その二つは矛盾しないのではないか。

 

M1 木山『都市と芸術の相互影響と緊張感』

都市に潜む”間”とギャラリーに親和性があるのではないかという仮説から発展し、現在様々な方法で行われる都市と芸術の相互作用による運動がおこなわれている。アーティストレジデンスやヴィエンナーレ、芸術祭などの公的な運動に加え、1920年~1940年前ごろから形成された池袋モンパルナスを対象にし、その時代に芸術家たちは何を考え、どのような生活をおこなっていたかを探っていく。

・池袋モンパルナスになぜ住み着いたのか。→安いという観点が重要ではないか。

・芸術家の集団やコミュニティの人類学をやりたいのか。

→コミュニティが意識的に形成されたのか、無意識的に作られたものなのかを調べ、その構造を把握する。→意識的・無意識的の二文法だけに陥らないようにする必要がある。

・当時の風潮が影響しているのではないか。時代区分的に調べてみるとよいかも。

・文学や共産党、学者などの街はどこに現れたかなどを探っていくのはどうか。

 

M1 越中『東京都内における墓地について』

 周辺環境とは異なる異質な空気感・隔離感を持たせ、周辺環境とは異なって構成されているように思われる東京都内の墓地の変容を分析し、現代の都市や周辺環境と墓地との関係を明らかにする。都心部青山霊園雑司ヶ谷霊園などの墓地の調査や、江戸期末、市区改正前後、大正期以降の年代の共葬墓地の比較や成立、変容過程の先行研究を参照し、研究していく。

・どうして墓地を選んだか。

→都市の間にできる墓地は土地的には価値があるのにも関わらず現存しているのは異様であり、興味深いため。

・墓地はなぜ作るか。→先祖から引き継がれている流れを引き継ぐため?→存立根拠があるのかという部分を前提におくべきでは。

・なぜ市街地に広大な共同墓地をつくったのか。→都市開発で邪魔なため。

 

 

 それぞれの人のいろいろな興味が見られることに加えて、ほかの人の興味と関連していく場面もありました。B4もふくめ他の学年との関連も意識していきたいです。

 

B4伊沢が担当しました。