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5/9-30 ゼミ発表 第1セット

長らくゼミに関する更新が途絶えてしまいました。

 

全員のゼミ発表の1回目を、簡単にではありますが要旨と議論した点についてまとめて更新したいと思います。

 

 

5/9 ゼミA班

 

D3 陳さん 「支配・資本主義の変遷からみる小運送業の形成」

 

台湾を近代化させる大きな要因であった輸出産業を支える運送業を清朝時代から日本植民地期以降にかけて追う。

清朝時期は、陸運(牛車)・水運・内海運送などがあったが、日本植民地期に入ると、鉄道による運送が主体となっていった。

まず縦貫鉄道という骨格になる鉄道が整備されて、それに伴い生産地と骨格をつなぐ小運送業が全国的に急増した。

台湾全土をネットワーク化することに成功した小運送業は、生産地周辺の市街地を形成するきっかけになったのでは。

 

 

M2 林さん 「同潤会木造住宅の変容パターンから見る郊外住宅地形成史」

 

川崎市分譲住宅フィールドワークの報告とそのプロセスについて

勤人向けのゆとりのある住宅と、職工人向けの密集した住宅が1936年から三期に渡って建てられた。現在では第三期の住宅がわずかに比較的そのままの状態と増築された状態で残っている。

職工向の街区では、宅地割はほとんどそのまま受け継いでいる状態だが、大きい宅地割の勤人向住宅は分割が進んでいる。

また、川崎は宅地開発に独自の手法を用いている。プロセスとしては、川崎市が同潤会を誘致し、川崎市分譲住宅を建てる。

それ以降の宅地開発は同潤会と川崎市、南部鉄道と川崎に工場を持つ企業が連携して川崎住宅株式会社を設立し、それぞれの利潤を示し合わせた工業専攻型の宅地が形成された。

研究に関しては、同潤会木造住宅の新しい集積として進めるのか、郊外住宅地形成を見渡したうえで同潤会木造住宅を位置づけ、ケーススタディの一事例として扱っていくのかという議論がありました。

 

 

M1 青木 「神代研究室デザイン・サーヴェイに関する研究」

 

資料整理。準備と予備調査のための資料、調査に関する資料、まとめ資料、アウトプット資料、と4つのフェーズに分けてどれだけの資料がありどのような状態になっているかという報告。

神代研究室のデザイン・サーヴェイに関する年表を見ながら、神代先生のその時期ごとに考えていたことなどを相関させて何を考えていたかについて議論しました。

今後の方向性として、修士論文は資料整理を前提とした資料研究とするのか、それとも資料整理をしたうえでデザインサーヴェイを起点としたコミュニティ研究とするのか。

 

 

B4 神崎 「神保町の魅力について」

 

神崎が感じる神保町が醸し出す魅力を構成するエレメントとは何なのか、歴史的背景から考察する。

神保町商店街の特性、千代田区商業地区の特性として、オフィスビル・医療教育施設・商業の集積地であり、住宅は少ない。また商業は特定の分野ごとに集積しているという実態がある。

神保町の古書店はどの時代においても店で販売するという意識は薄く、立地性よりも組合と市場の流通とのかかわりが重要である。

組合に加盟する古書店同士の集積があってこそ神保町古書店街は成り立っている。

 

 

 

5/16 ゼミB班

 

D3 石榑さん 「戦後東京の副都心ターミナル近傍の形成過程」

 

第2部となる、東京のターミナルビル開発 に関する発表でした。

青木栄一・老川慶喜・野田正穂編 『民鉄経営の歴史と文化 東日本編』 古今書院 1992

原武史 『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』 講談社 1998

関西、関東における国鉄ターミナルと私鉄ターミナルの違い。関西では国鉄と私鉄の敷設が同年代であったためそれぞれが独立性を持ってターミナルを形成し、関東では国鉄が先行して敷設され私鉄がそれに従属するようにつながっていった。

ターミナルの空間も関西と関東では異なっていて関東の方が有機的に接続していた。

全国の民衆駅一覧。さらに詳細な一覧表の作成。

 

 

M2 西村さん 「1950-70年代の都市の立体化に伴う法制度/職能/共同体の変遷に関する研究」

 

RIAへ藤田邦昭が入社にはじまるコンサルタント業的役割から都市問題経営研究所のコンサルタント業の確立の変遷について。

そのケーススタディとしてRIAが初期に手掛けた小坂駅前防災建築街区造成事業について。

小坂駅前防災建築街区造成組合が主体となってRIAがコンサルティング、設計を行った。

権利調整の方法としては一部を除いて新たな賃貸借契約を結んだ。

出来上がった小坂本町ビルを見てみると中通路を持つ不整形なプランで、従前の平面がそのまま立体になったような構成となっていて権利調整が未完成な様子がわかる。外壁のテクスチャであったり外観は統一されていない。

議論としては、ケーススタディを法制度/職能/共同体に関して進化マトリックスのように位置づけすることが必要なのではということがありました。

 

 

M1 倉石 「東京のジェントリフィケーションとそれに対する地域社会の変容」

 

既往研究からどのような知見で研究を進めるかについての発表。

マニュエル・カステルとデヴィット・ハーヴェイの理論から、土地所有形態の相違による外圧(資本主義)に対する地域社会の反応の例の紹介。

ジェントリフィケーション*の起こった地域にその理論を適用して研究をしたい。

(*都市において比較的貧困な層が多く住む地域に、比較的豊かな人々が流入する人口移動現象のことで、地域内格差や地域内の住民の階級構造が変化する要因になる。)

資本が空間を通して蓄積されることによって都市空間が形成される。

...資本と空間の相互関係とは?一文一文疑問の残る文章が多くてなかなか理解できないのですが、これから勉強していきたいです。

 

 

B4 城 「人と水害の歴史に関する研究」

 

治水の歴史について。白鬚西地区のスーパー堤防の事例について。

スーパー堤防とともにテラスや公園などの親水空間が設置された。

議論としては、スーパー堤防が親水空間になりえるのではなく、町と川を強烈に断絶する堤防に付加的に親水施設を付加したという構造なのでは。

土木で扱うことが大きいので建築として何ができるのか。ということが問題としてあるということが挙げられた。

 

 

B4 吉田 「限界集落とその再生に関する研究」

 

集落としての共同生活が成り立たなくなってしまった限界集落の再生事例について。

丸山集落はかやぶきの民家が残っていたため、国によって支援が行われ地区住民やNPO、企業、建築家などが参加し、古民家再生を行い農業体験やアートなどイベントを持続的に行うことによって再生事業を行い、外部から人が集まる成功事例となっている。

この問題を扱うにあたって、限界集落はなぜ消滅してはならないのか、限界集落は誰のどんな問題なのか、再生とは何か、解決したことになっているのかなど避けては通れない議論を、いくこがどのようにしていきたいのかということと共に考えて次のステップ、もしかしたら最終的には卒業設計にもにつなげていってくれるのか楽しみです。

 

 

 

5/23 ゼミC班

 

M2 野口さん 「浦辺鎮太郎の設計活動からみる地方建築家の誕生と職能の分化について」

 

東京近郊の住宅地形成史から一転して、地方と関わる建築家の職能につての研究をしたいということでこのテーマに変わりました。

浦辺鎮太郎は倉敷一帯の計画・設計をした建築家であり、設計をするだけでなくのちのアーバンデザインの職能をもった最初の存在として位置づけられるのではないか。

また、地方建築家として保存概念だけでなくクラシキモデュールなどを用いた設計をして新たな地域のとらえ方を示している。

今後の論点としては、倉敷の実業家大原総一郎との結びつきが強く、パトロンと芸術家のような関係になっていて特殊な例なのではないのか、現在においてパトロネージが存立できないのであれば建築家は藤村龍至のようにソーシャルデザインをするようになるなど今に至る視点がどうなるのかというのが研究をする立場として重要になってきそうです。

 

 

M1 吉野 「武蔵野新田の都市化の比較から見る地割と建築」

 

西武鉄道沿線の小金井、武蔵境、三鷹、吉祥寺には細長い短冊状の地割の土地がある。かつては新田として機能していたが、郊外化が進んで都市化が進んでいく。

都市化が進んで行ってももとの地割はそのまま都市の骨格となって引き継がれてきている。

同じ開発形態の土地が、時代や場所など様々な要因によってどのように変化していくのか比較研究する。

今回はマクロな視点での発表でしたが、今後どのように類型化されていくのか楽しみです。

 

 

B4 劉 「中国伝統的民家建造物保護区における再生に関する研究」

 

上海新天地について

上海の新天地には1860年頃の戦乱による難民を住まわせるために石庫門という都市住宅が形成された。外部にも生活空間があふれ出すような独特の生活環境を形成していた。

国は新天地を歴史文化保護区に指定し、ディベロッパーが事業の主体となって保存を行った。ディベロッパーは当時の材料などを使い忠実に修復、再現して大規模な商業地区を展開した。その際住民は住宅を買い上げられ、別の場所に移動した。

中国のこの保存の形式は世界的に見ても極めて特殊であり、この事業によって元の住民の生活やこの場所の使われ方の観点では破壊行為をしているということもできるのではないだろうか、歴史的な建物を使ったイオンモールなのではないかという先生からの問いがあった。保存とはなんなのか、自然な新陳代謝が止まった保存地区はどこに向かうのかという根本的なところにも疑問を持って今後の研究を進めていってほしいです。

 

 

B4 平場 「踊るための"箱"の変遷~マチ×ダンス~

 

舞踏館からダンスホール、ディスコ、クラブにいたる変遷過程について。ダンスの目的や音環境、法律による規制など変化によって閉じた小規模の箱への系譜を語ることができる。

その過渡期にあったと考えられる琵琶湖ダンスホールの計画変更の事例。

卒業設計への展望。マチとダンスをつなぐものとしてクラブとストリートダンスの中間のような建物を考えたい。

ここから青井先生の投入した新しい視点。

ストリートダンスは地縁などとは切り離された人が新たなつながりを生み出すという点で都市の問題である。

演劇もダンスも観客と演者の関係が解体されると路上劇やストリートダンスとなり、それらしさを担保するのはmedium(媒体)である。=ダンスのモダニズム

身体と自然・地形という関係でつながっているのはスケートボーダーやパルクールやサーファーである。

そこまで解体してみたときダンスとはなんなのか、都市との関係はどうなるのか。このことを考えてから卒業設計に臨めば新たな可能性が見えてくるのでは。

 

 

 

5/30 ゼミD班

 

M2 滝沢さん 「伝統的建造物群保存地区に関する研究」

 

高山市伝統的建造物群保存地区に関する報告。

高山は最初に伝建制度が適用された街である。大体全面から一部屋分を内部空間まるごと保存するような規定がされている。

川越では街区を貫くように一筆の敷地になっていたため裏が変容していたが、高山ではそうではないので裏の変化はあまり見られない。

また貸店舗になっているところも少なく、商住一体となって現在も生活している。さらに駐車場などは多少増えたが、伝建外の変容もあまり見られなかった。

この高山の事例では生活様式も保存されたため変容がほとんど見られなかったのだろうか。

変容の要素と結果についてほかの事例とも横断して見ていくことが今後の課題となりました。

 

 

M1 佐藤 「銭湯からみる戦後東京郊外住宅地形成史」

 

銭湯に関する法制度について。銭湯の開発・経営については行政ではなく個人に任されているが、国民の衛生に関わる都市施設であるため行政の圧力と後援が取りまいている。

郊外開発と銭湯。汐入の事例。農業経営が困難になった農家がポテンシャルの上がっている土地を地主兼ディベロッパーの役割をして宅地開発する。その際に銭湯も作って住宅地のセールスポイントとして施設を作り湯屋を誘致した。

銭湯経営者のネットワーク。銭湯経営者は北陸出身者が多く、一般でいう寄子のような部屋というつながりがあり、銭湯内で三助を斡旋したり相互扶助をするドメスティックな強いつながりを持っていた。

これらの観点から銭湯の分布は都市計画的でない、内部のネットワークによる全体性を持った配置によってできているのではないか。

今後の課題としては、どのように研究していくのか、銭湯の現代における意義を考えることなど問題は多い。

 

 

B4 笠巻 「相模大野駅の西側地区の再開発にともなう周辺住宅地、商店街への影響」

 

相模原市の位置づけと変遷。再開発事業としてbono相模大野の事例。近隣商店街の現状。

三核三層構造の街づくりをめざし面的な開発をねらって再開発事業がされたが、そうした再開発の建物は残された商店街との連携が感じられずむしろ周辺を衰退させるようにも感じられる。

アノニマスな広がりと資本主義による開発事業をどうとらえていくべきか。

研究を進めるにあたって、この問題を扱うのは相模大野が適切なのか、どういう立ち位置で進めるのか、再開発の事例を見ていくことがその手法なのかなどがあがりました。

 

 

B4 秋山 「戦後における大学の特徴、および明治大学建築学科の変遷」→「蒲田駅と京急蒲田周辺の研究」

 

明治大学建築学科設立に関する大きな流れについて。

蒲田周辺の研究をしたい。次回から変更する。

可能性として、戦後ヤミ市があり民衆駅が形成された経緯があるので駅周辺の空間や歴史的な面からみても面白そう。

今後何に注目して研究を進めていくのか楽しみです。

 

 

 

長くなりましたが、以上2013年度第1セットめの、17人分のゼミ発表まとめでした!

 

これからはためないように更新していきたいと思います。。

 

 

M1 さとうあやな