サブゼミA班 3回目発表

サブゼミA班のテーマと学んだこと

 サブゼミA班では裸の獣とそのアートというテーマのもと、1回目は嶋泰三『はだかの起源―不適者は生き延びる』(単行本:木楽舎2004/文庫版:講談社学術文庫2018)、2回目は港千尋『洞窟へー心とイメージのアルケオロジーせりか書房2001)について発表した。( 1回目、2回目の発表はこちら↓)

A班1回目発表 http://aoilab-seminar.hatenablog.com/entry/2019/10/02/185240 

A班2回目発表 http://aoilab-seminar.hatenablog.com/entry/2019/10/23/214826

 

 1回目、2回目の発表は、ホモ・サピエンスが住居を構築する以前の時代について扱ったが、ホモ・サピエンスの生物的・精神的な起源に迫る上記2冊には建築を考えるにあたっても基盤となるような視点にあふれていたと思う。e.g.〈累進的(な文化〉〉 〈反復と変容〉 〈身体化・分節化〉 〈「運動」(=認知的流動性)〉 etc...

サブゼミA班が3回目の発表にあたって考えたこと

 問い:住居を構築するようになったホモ・サピエンスにおいて、建築はどのような役割を果たしたか

仮設:洞窟のように、自然界の秩序や自らがつくりだした秩序を内蔵するための意味空間(マトリクス)としての役割を果たしていたのではないか

対象:世界の民族建築

方法:最初に以下の2冊から民族を選定後、様々な分野の研究、論文を読み、まとめた。

①エンリコ・グイドーニ著/桐敷真次郎訳『図説世界建築史1 原始建築』(本の友社2002)

②藤井明『集落探訪』(建築資料研究社2000)

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そして、サブゼミC班の発表において、前-近代的な世界では様々なモノ・コトが自然や社会と分かち難く結びついているというラトゥールの枠組みを参考に(生環境構築史的な視点も込めて)、A班3回目では民族建築にみる「運動」(=認知的流動性)と成立条件となる自然・社会というタイトルで発表を行った。

 発表の構成は以下の通り。

発表①:カッセーナ族

発表②:バミレケ族

発表③:ドゴン族

発表④:北西海岸インディアン

コラム:藤森建築

 

北西海岸インディアンを例に

彼らはカナダの西海岸あたりに暮らしており、豊富な海産資源を基盤として非農耕社会でありながら社会階層を形成し、ポトラッチやトーテムポールといった独自の文化を形成していた民族である。

1.地球がつくりだした、人類の生環境的基礎

なぜ、海産資源が豊富だったのか?その要因は入り組んだ海岸線にアラスカ海流がぶつかる場所だったからだ。

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またアラスカ海流は暖流であるため、彼らの暮らしている地域は北海道よりも高緯度に位置するにもかかわらず気温が氷点下になることは少なく、ケッペンの気候区分でも温帯に分類されるのである。そのため降水量も多く、森ではコケ類が絨毯のように厚く大地を敷き詰め、トウヒやレッドシダーといった巨木が育つ。

 2.自然環境を基盤として成立し、発達した社会・文化

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そして彼らは長い時間をかけて①複雑な社会(社会階層、半族、リネージ)と②新しい秩序(自らの出自を証明する神話や物語とそれを演じること≒ポトラッチ)をつくりだしてきた。

 ポトラッチの際、舞台のひとつとなるのが彼らの住居である。1辺10~15mの大きなワンルーム空間で、首長の家は他の家よりもひとまわり大きく、2段ないし3段の階段状の掘り込みがある。それはまさに劇場であり、100人収容することも可能だという。またその起源はプランクハウスと呼ばれる竪穴住居で、規模こそ異なるものの、多くの点で類似点を見つけることができる。

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よって彼らの住居は原始的な竪穴住居から反復と変容を繰り返す過程で社会・文化を反映したもの(大規模化や階段状の掘り込み、特定の柱に先祖の物語を表す彫刻を彫るetc...)として、連続的に捉えることができるだろう。

 3.まとめ

言い換えれば、豊富な海産資源・森林資源を基盤として成立している北西海岸インディアンの社会・文化は自然と社会の織物なのであり、建築もまたそうなのである。

そして建築(住居)はポトラッチを介して自らの出自を証明する神話や物語を自分たちに、そして集められた人々のなかに内蔵するという「運動」の舞台であり、周辺の環境を含めてある広がりをもって形成された意味空間内に「構築」と「装飾」によって分節化された特異点と言えるのではないか。

そのように考えると、洞窟内でホモ・サピエンスは実際何をしていたのかという問題は、難題であるが非常に興味深いものである。

 最後に、寺澤が担当してくれたコラムのまとめを載せる。

個人的な発見は、藤森建築(+ガウディ&フンデルトヴァッサー)がバタイユも注目していた「幼児性」や「素人性」と建築という表現領域の交差点になるのではないかということで、掘り下げたら面白そうだと思った。(武田)

 

Column. 藤森照信ワールドに迫る

このColumnでは、あえて現代建築に立ち返りたい。我々が目を付けたのは、建築家(建築史家)藤森照信。彼の建築は多くの人にとっては「よくわからない」。しかし、こうして原始的な民族の建築をみてきた上で彼の建築を見返すと、明らかに藤森照信の建築思想に通じるものがありそうである。藤森照信の謎に迫りたい。

 1.赤派/白派

 藤森照信は、日本の現代建築の潮流として、モノの存在感を重視する流れの「赤派」と、数学的抽象性を重視する流れの「白派」があるといった。白派(白=脳の色)はグロピウスを筆頭に、薄い軽い部材、ガラスの大量使用、幾何学的形態による構成、視覚的に透明な空間、白色、のっぺりなどの抽象的な建築を指向する建築家。それに対し、赤派(赤=血の色)は、彫塑的な立ち上がり、洞窟のような曲面、深い陰影、素材感など物体そのものの存在(実在)が身体の感覚への訴えかけるような建築を指向する建築家。藤森は、自身の建築は徹底的にモノの存在感を追求しているとして、限りなく濃い赤という意味で「赤黒派」といっている。

2.インターナショナルなヴァナキュラー

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図1 インターナショナルなヴァナキュラーの立ち位置

藤森は、人類はひとつから始まり、多様にふくらみ、またひとつへ。アメ型の図になる。と説明し、インターナショナルは、人類の建築の歴史の最初と最後に2つあるといった。そして、自身の建築家としての立場は、数学的抽象表現を追求する多数派のインターナショナル(=モダニズム)ではなく、存在感の回復を夢想する少数派であるとし、そこから現代のインターナショナルには背を向け、人類の建築の初期の姿(最初のインターナショナル)に一番関心が傾いていると語っている。

  端的に言うと、大地・人・神による世界に普遍的な数式に、土、石、竹、草、木などの自然素材を変数としてつくる。それが藤森のやり方である。自覚している方針として、以下の二つを語っている。

1.過去と現在の誰の建物にも、青銅器時代以後に成立するどんな様式にも似てはならない。

2.自然と調和するために、見えるところには自然素材を使い、時には植物を建物に取り込む。

 原広司は藤森建築を、民家風だがどこの国どこの地域の文化も風土も感じさせない「無国籍な民家」と評言した。自身では語感を変えて「インターナショナルなヴァナキュラー」と称している。

 3.「幼児性」と「素人性」

 藤森は、アントニ・ガウディとフンデルト・ヴァッサーの建築作品には共通して子供のお絵かきや粘土細工をそのまま建築という巨大で公的な造型と化したような“幼児性”があるとして、高く評価した。また、白井晟一の初期作「歓帰荘」を例に出し、その様式やディテールの混沌とした様子をどう見ても変だが魅力的だと評価した。素人は建築家の流れに乗らない。流れに沿った形が安定状態・定形化に達したとき、それをブチ破る力があると言い、“素人性”の重要性を示した。

 藤森が意識する“幼児性”と“素人性”は、我々が藤森建築をみたときに変だけど、「かわいい」とか「懐かしい」と思ってしまう理由に繋がっているだろうと想像できる。

 4.作品の概観

  

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図2「一夜亭」と洞窟

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図3「ツバキ城」と土造の屋根

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図4「ニラハウス」と竪穴の小屋

 藤森建築を概観してみると、①モノの存在感と、②ひとつの大地の上での人の営みと自然物に即した構築物の立ち上がり③幼児性と素人性といった彼が主張してきた建築のあるべき姿(=インターナショナルなヴァナキュラー)は表現されているようには感じられる。モダニズム建築への批判表現としては十分だろう。
 一方で、これらの表現は、未開の民族の建築たちの表現の単なる模倣・引用とみなせてしまうのではないだろうか。上図のように、藤森建築が民族建築に類似していることは明らかである。彼のつくるものが建築表現という表面の問題を超えて、それを体験する人の生き方にどんな変化をもたらすのかに着目して議論することが今後は重要になりそうである。