5.30 C班ゼミ発表
5.30 C班ゼミ発表
5月30日のゼミはC班の発表でした。
発表順は和田→伊沢→水原→棟方です。
D2和田「近代日本における建築メディア発達史」
・建築批評はどのように始まったのか
批評について論じた文書(メタ批評論)を参考に研究。塚本清、岡田慎一郎が日本における建築の美に対する関心、建築と人の関わりが薄いことを問題視。黒田鵬心が初めて建築批評を活性化させる。「1919年には建築界への宣伝」(執筆:森口多利、執筆陣:伊東忠太、佐藤功一、佐野利器、中村達太郎)が『建築評論』の創刊の辞として掲載。
・新建築
一般向けの雑誌として意識されていた。
1931年:東京進出に伴い、A4版の発刊が始まる。→写真が多くなるが、建築自体にコメントするのは、記者であり建築家ではなかった。
1933年:堀口らのテキストが雑誌に乗るようになる。以来、分離派の発表の場になっていく。
【議論】
黒田鵬心は堀口より上の世代。強・用・美 という概念はリトル・ヴィウス以来のベタなもの。
美術→建築の系譜
1.コンドル以来「建築とは美術なのだ」ということを主張。工芸の職人と同じような姿勢をとる。
2.19C~形態そのものと知覚について問題を扱うための、言語が盛んになる。
美学、美術史の人達が作り上げた理論を建築に応用して行く。出来上がっている目の前の空間の形式、形態と体験の問題→フォルマリズム、近代建築へ→濱口隆一、丹下健三の世代で日本に入ってくる。
分離派は白樺派から(つまり文芸運動から)影響を受けていた。その世代の美術批評、批評全体として何が巻き起こっていたのかは調べていかなければならない。
まずどこで、どう変わったのかを仮説的でも書いてみる。エディターシップというのが大きな問題になるのでは?ブルデューの枠組みの建築版がかけるといいのでは。
B4伊澤「建築におけるコンテクスト」
建築におけるコンテクスト概念について、今回はロバート・ヴェンチューリの書籍『建築の多様性と対立性』に着目して各章を解説。そこで、5、6章を本書から読み取れるコンテクスト観(コンテクスト、状況、文脈といった単語が出てきたもの)として挙げている。本書の全体としてコンテクストの要素は本書にはあったが、各章にいろいろな種類の対立性、それぞれのコンテクストがあるのでは。
【議論】
つじつまを合わせることで多様性を生むのか?
→違う。複数の形態が共存しているものには色々な要求がある。
これらは一つの論理に収まらない。複数の形態は時間軸の中で経験していく上で理解していくもの普通のコンテクストは敷地の外の条件であると思うが、それに関してはこの本ではどうだったのか?
→あまり言ってはないが、ある意味での無秩序を容認しているので
B4水原「転用について学ぶ」
物事の変化や積み重ねの中に興味があると考えた。
西洋の転用を参考に考える。
【議論】
保存という概念がなぜ19世紀に生まれたのか?
→16世紀の中世批判が取り壊しを助長し、そのカウンターとして、一番最初に存在した元の姿に戻すという文化が生まれた。
ビオレルデュクが16世紀に、実測、構造システムの論理的分析、それでおぎなえない部分の理論を構築した。これは、非常に重要でこの構築の理論は後に近代建築家にとって大きな影響を与えた。
産業革命後、新しい市民階級作り上げて行く国民国家は国の文化体系を練り上げて行く。→‘保存’は非常に重要だった。宗教的役割を抜いて、文化財として価値を与えて文化体系を作り上げて行く。
実際の建築と照らし合わせるとはどんなイメージか?
→ミラノ市の分類を実感を伴って理解をしたい。後々は自分で分類するメッドにつながるかも。日常の中にあるものの分析をしたい。
歴史的建造物の保存の分類ではなく、好きな空間の変容史の方に興味があるのではないか?
「残る」と「残す」ことの違い。
両方に意図がないわけじゃないが、その大きさによって決定されることがある。
は?
M1棟方「フォルムとマテリアル」
建築におけるフォルムとマテリアルについて、建築のフォルムについては多く語られているが、マテリアルとフォルムの関係性やマテリアルそれ自体についての評価はあまりされていないのでは、といった問題提起から、加藤耕一『アーキテクトニックな建築論を目指して』を参考に調査。マテリアルが意識的に利用されることが少ないのでは?といった違和感から、それらを語る言説の必要性などを感じた。
【議論】
フォルムとは具体的に?
→表層ではない部分、マテリアルは表層
マテリアルとフォルムの関係はすでにあるのでは?
→空間を知覚するときにフォルムとマテリアルは同等だと思っていて、建築を評価するときにフォルムで解くことは近代的に多い印象。しかし、マテリアルに関してはあまり無いイメージがある。
空間論→いろんなものとの相対的な関係性。マテリアルもそうなのではないか。
以上、石原・山下が担当しました。