4.11 初回ゼミ

こんにちは。

新年度最初のゼミはD3滝口さん、D2和田さん、M2相川さんの発表でした。

 

D3 滝口さん

出羽三山の空間史—その信仰と環境世界について」

羽黒修験に焦点を当て、近世の修験霊場としての実態と(自然地形が大きく関わる)、明治維新による神仏分離によって修験霊山が神社、寺院へ解体されたその過程を探る。

調査の対象となるのは中世以降東日本最大の修験勢力となった出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)で、近世から近代への変化、特に神仏分離による組織、空間の変化(境内配置や門前割りなど)を追っていく。

中世羽黒山は特に神仏習合の性格が見られる本社において、時代毎に羽黒山による出羽三山統治の意識を反映した祭神配置が見られ、神殿と本地堂を並置し「神仏並存」の状況を作り出している。近世になると羽黒山は幕府の統治下として東照宮を勧請、本社、開山堂、東照宮を三大施設とする山上社堂構成となる。

 

質疑応答

・個別の建築の内部空間の調査をどうやっているのか

→本殿などは基本的に祭儀のための場であり、祭儀で行われることはシンボリックな意味を含んでいるため祭りに行きそこから空間を解き明かしていきたい。内部の空間構成がどう外部と繋がりがあるのかを見ていくのも面白い。

羽黒山の自然信仰はどうなっているのか

→古来の山楽信仰(山は恐れ多いところ、神聖な場所で立ち入れない場所)とは異なり、修験道は山に入るため山全体が神聖なのではなく、ある対象、モノに現れると考えられる。先祖霊、先祖に対する信仰があるとされてる。

・山中宗教建築と平地宗教建築の配置計画の差について論じていくのか

→山中宗教建築配置の意味などを探っていく。平地にある山楽信仰の神社などもあるが、平地と山では語りにくさが異なるためそれはなぜなのかを明らかにしたい。平地では人間が作ったシステムをダイレクトに理解できるのに対して、山楽信仰は自然体系(ポストヒューマニズム的な意味で)が組み込まれざるを得ない世界であり、その空間史を追っている。

 

 

D2和田さん「近代日本における建築メディア発達史」

雑誌を中心とした建築メディアは①構成要素の特殊性(テキストと図面に加え大部分を建築写真が占める)②建築家の新作発表の場(特に作家が自作を解説するという点で)という他のメディアとは異なる特性を有している。この2つの特性がいかにして形成されたかを建築写真の発生と建築雑誌の誌面構成の変化に着目しながら明らかにする。

日本では関東大震災以降、それまでのピクトリアリズム的写真(絵画性を求める芸術写真)を否定し、機械であるカメラとしての表現を追求する新興写真運動が起こる。その理念に適した被写体として建築が好まれ、この頃から現代に通ずる建築写真の作法の片鱗が見られる。建築写真の誕生と同時に建築雑誌においても写真が一般化し組み写真の誌面も登場。特に新建築では1931年に組み写真を導入。1933年に堀口捨己など海外雑誌の内容を紹介していたが徐々に分離派の発表の場となっていった。

 

質疑応答

・写真のレイアウトなどは海外のものを参照しているのか?

 →海外にも建築雑誌はあり、少なからずその影響は受けていると思われれる。日本独自のものとは言えない。

・渡辺義雄「カメラウァーク」カメラの動き、映画的ダイナミクスと合わせて誌面としての構成を意識してある(=表現としての写真)などがあるが、建築写真はメディアにおいてインパクトがあったのか。解説的なモノとしての写真と表現としての写真どちらによっていたのか。

・建築家と写真家の関係性はどうなっているのか

→建築家が撮影に同伴し、写真の選定を行う。写真家はアーティストとしての写真の芸術性を制限される。

・建築写真家の発生はいつなのか

→近代の建築家の発生と建築写真家の発生は関係性を見ていきたい

建築写真のプロの構図が確立してから建築写真家が生まれたのか?

 ・枠の設定とその中の位置付けを考えたときにその枠が曖昧、メディアはどこまで含まれるのかが曖昧だと建築雑誌の特異性も述べにくい。メディアの中における建築の位置付けもあるが、建築の実践におけるメディアの位置付け、建築メディアの中の建築雑誌の位置付けなども面白そう

 

 

M2相川さん「team10と戦後期の都市計画運動体のドローイング表現方法について」

TEAMⅩを始めとするCIAM後の戦後期の都市計画運動体は彼らが主要なテーマとした「変化、時間、動き」をどのようにドローイングに表現しようとしたかを明らかにする。

ノイラートが提示したアイソタイプ(非言語的な仕方で情報伝達するための視覚記号)はCIAMが目指す機能的都市計画の表現に適合したが、都市を特殊な複合体(機能で分離された建物を交通で繋ぐといった単純な体系では表現できない)として考えるためにはこの方法だけでは解決できず、新しい表現方法を模索する必要があった。これがTEAMⅩの機械的な地図表現からの脱却の契機となる。TEAMⅩは、これまでのCIAMのような完成形のドローイングではなく、生成プロセスの提示を行うことで変化や時間の表現を試みた。

 

質疑応答 

・ドローイングという静止画でどのように変化や時間を表現しようとしたのか、その片鱗が見える部分を具体的に教えてほしい

→カーンやリンチの都市の描写法は新しいドローイングのあり方、ゾーニングでは表せないものをどのように図化するか模索している例として扱える

・先行研究はあるか

→ドローイング集などはある、TEAMⅩのみを扱ってるものがほとんどで他の運動体との関係から新たな視座を獲得することが目標

・ドローイングの分析の仕方を明確にロジックに示さないと分析の仕様が無い。ドローイングに対する評価の仕方を考えた方が良いのでは。

 

初回ということで少し緊張感がありましたが、今年から参加のB4の発言も多く、これからどんどん活発な議論が繰り広げられそうです。私もたくさんのことを吸収できるよう自分の中だけで溜め込まずに、分からなくても分からないなりにどんどんぶつけていけるようにしていきたいと思います。

 

今年度からブログ係になりましたM1棟方がお届けしました。