1/9 ゼミ発表 D班
B4図子 ZAHA HADIDとTangent Drawing―見えざるものとの対話者―
①ザハのスケッチとドローイングに関する言説 まとめ
(1)スケッチの時点ではザハには理解できている
(2)ドローイングは入念なスケッチ→ドローイングはアイデアを表現
(3)スケッチ=アイデア
(4)スケッチ=アイデアが最終成果物に類似
建物が実現したヴィトラでは動きとエネルギーがプロジェクトのアイデアであったこと、建築基準法を流動的な本と捉え全てを解釈しようとしていることから、スケッチの線が表現しているアイデアを、最終成果物が保持しているため類似と認識している、と考えられる。
(5)ドローイングプロセスはアイデア(スケッチ≒最終成果物)という一義性に対して行われる、形態の分化と統合のプロセス
※そのため、形態はアイデアの次元における経験→「超越論的経験論」ドゥルーズ
場に内在する潜在形態をスケッチで取り出し、潜在形態の顕現化のために行われるのがドローイングである。そのため、様々なドローイングにより現れる形態は、スケッチが建築規制などの与件自体を内包しているため、機能と形式の弁証法を行う必要がない。つまり、ザハにおいては生成される形態は、様々な要素を考慮して顕現化されるべき形態、それ自体。
②ドゥルーズを引用してザハのドローイングを考察する
質疑
・場に内在する潜在形態とは?
そもそも英文ではどの語があてられているのか?
→siteまたはfield
→siteなら敷地だが、fieldだとなにか磁場のようなものも指しうる
・図化のしかたについて。ひとつの図の中に同じものが複数あったりしてわかりづらい
→まだ仮の段階なので、これからわかりやすくしていくつもり
・なぜドゥルーズを引用したのか?ザハの言説中にでてくるのか、第三者が関係性を指摘しているのか、それもともオリジナルなのか?
→オリジナル。
・様々議論するのは面白いが、そろそろまとめ方を考える時期かと
①中世文書の読解
(1)羽黒山の中世文書について
縁起説話が中心。16世紀中頃に戦乱に巻き込まれ、一山は大混乱をきたして疲弊したため、中世の様子を窺い知る文書は限られている。また、近世初期に加筆・修正されて成立した可能性が高く、別当天宥による一連の修史事業の影響下にあると思われる。
◎羽黒睡中問答並縁起
◎拾塊集
〇羽黒山縁起
〇羽黒山伝
(2)中世の羽黒山上
御本殿を中心に西に弁財天、東に観音堂、南に大黒天あり。また六所明神が御本殿に軒を継ぐかたちであった。
→近世以降重要な建物に位置づけられる開山堂についての記述はない
→東の観音堂は中世から近世にかけて失われてしまった
(3)祭神について
②松例祭
現地で見学した。
・御本殿に石の間がない→修験道との関係があるかもしれない
・御本殿の中での神事と外部である庭での神事が同時に進行する
質疑
・どうして加筆修正されているといえるのか
→湯殿山の支配 能除太子の優位性
・「もんじょ」について
→歴史学的には誰が作ったか、誰に向けて作られたかが明確なもののみ「もんじょ」という
・中世史料には絵図はないのか
→近世の中頃からしかない
・祭神の変化に対して空間や祭の変化があるのか
→まだよくわかっていないが、近世は新しく人格神を祀る建物ができる
→神と空間の関係ではなく、その神の配置を決める社会や政治と空間の関係をみるべきでは?
内拝殿―かつて畳敷き/外拝殿―かつて床敷き
拝殿の中に厨子をつくりこんでいるのはめずらしい
御本殿の建築の形式と建築内部でのふるまいの関係性から考察することは可能か