D班サブゼミ 2回目発表報告
前回は、イエズス会士から見たトゥピナンバの気まぐれさはどこから来るのか、ということを述べたと思います。
今回は、実際にトゥピナンバはどのようにキリスト教に改宗されていったのかということに焦点を当てていきます。
まずイエズス会士たちを悩ませたトゥピナンバの”気まぐれさ”の対局にあったものとして、”復讐”があります。トゥピナンバは復讐することにとても強い欲求と執着がありました。それは、トゥピナンバの悪習として見られていたもの、食人、一夫多妻、酒盛り、多数の名前を得ること、名誉、の根本にあるものが”復讐”であったからです。
トゥピナンバの復讐の体系は下記のようになっています。
この復讐が繰り返されていったのは、
1.敵を殺さなければ新しい名前が手に入らなく、名誉を手に入れることができず、結婚できないということ
2.トゥピナンバにとって名誉ある死とは敵に殺されること
これらがあったため復讐は永続化されていきました。
また③の敵を処刑する際には儀式が行われ、下記のような会話がなされています。
このような対話は、時間が含まれており、今行うであろう復讐は過去から引き継がれているものであり、未来へと繋がっていきます。つまりこの対話は復讐が循環していくことにとても影響しているのです。
また面白いことに、この殺すした本人は捕虜の肉は食べず、周りの観衆が食べるということも決められていました。トゥピナンバは食べる口と言葉を発する口を区別していた、と言います。
イエズス会士たちはこの”復讐”を改宗していこうと試みました。
上記の復讐の体系はトゥピナンバにとっては無意識の一連の流れであったのですが、他者が入ってきたことによって
ヒエラルキーが明らかになっていきました。
まず、食人文化は意外とあっさりやめさせることができました。
それはトゥピナンバの中にも人の肉を苦手とする人、吐いてしまう人、食べたことがない人と異なる認識があったことも
一つの要因ですが、ここで重要なのが1回目で出てきた”他者への開かれ”です。
そもそもトゥピナンバにとって食人をすることは長寿を手に入れるための行為だったので、イエズス会士たちの教えによってこれは置き換えられることができました。つまり上記の復讐の体系の④が書き換えられたということになります。
一番困難だったのは、③の敵の頭蓋骨を打ち砕くことです。
頭蓋骨を打ち砕くことは、”新たな名前を得るための決定的な必要条件”だったため、これはイエズス会士置き換えることがでによってきず、結局強制的に力で押さえつけるしかありませんでした。
このようにして、トゥピナンバはイエズス会士に改宗されていきました。
著者のカストロ氏の見解として重要視していると思われることは、やはりトゥピナンバが食人を放棄したところに焦点が当てられています。
食人の放棄は、もっぱら、あるいは主としてヨーロッパ人が食人を嫌悪し、抑圧したために起こったのではなく、
むしろヨーロッパ人が、トゥピ系社会における敵の位置と機能を占めるようになったために起こったとは言えないか?
彼らがもたらし、取り込まれなければならなかった諸価値は、結果的に、敵の人格をむさぼり食うことを通じて内化されて
いた諸価値を蔽い隠すことになったのである。
これはカストロ氏の言葉ですが、先ほども述べたように食人文化は彼らの特性である他社への開かれによって、代入可能なことであったということです。
私自身、全く未知の世界の文化(=宗教)を扱った本であったので、信じられないことばかりで面白く読めました。
一方で、その裏に隠されている構造はとても難しく、カストロ氏はそもそもレヴィ=ストロースが提示したアメリカ大陸先住民の思考を考察し、それを元にこの本を書いているのでレヴィ=ストロースをもっと勉強したら更に面白く読めるんだろうな、と
この本だけでは理解できないことも多くありました。
この本では、外からの別のものが入ってきたときに、もともとあった全体がどのように動き出すのか、そのどちらかを見るのではなく、どちらも見ていくという姿勢を学べました。それは、日常には当たり前に起こっていることだけれども、案外この視点で見ていないので、見ていくと新しい世界が開けてくるのではないかと思います。
M2 保川