ゼミ発表B班 7/5

ゼミ発表です B班は前期最後になります。

 

■まりえさん 宇野浩二と菊富士ホテルを巡って
宇野浩二さん1891年生まれ。 九州福岡生まれ まず大阪にいる 4歳で大阪に移転 19で進学 
宇野浩二の足跡(地理的な分布)が追えるのが面白い。
住処を何度も変えているのが随筆でわかるが、 借家を複数もつということはない。
文学者が宿を移す行為に出る場合は交友関係が大きい←中原の場合

文学作品では、リアリスティックなものの上に表現載せることが多い

■しゅんや 霞ケ浦 都市集落研
陸路へ荷物を移すときにどれくらいの人たちの動きがあるか
個人経営的に陸路の積み下ろしの業者がある。
各藩 で請け負っている場合も、霞ケ浦の物流ネットワークを動かす
中世 は言説などでしか追うことができない 現状
江戸 運動システムが体系化されてくるのが江戸
 →舟運に関してはほとんど変化ない
明治 鉄道にとってかわられると同時に、船は汽船へ

近世の前中後でも大きな変化があったはず
群となってくる時には、河岸群を形成するためにはどういった事業が入ってきているか、などなど追っていくことで初めてわかってくることがありそう。
■よっしー 東立科の集落研
肉牛専門の業者 大規模化の段階になって肉牛の業者が出現し始めた。

酪農は最初からやっているのか。
→牧草地がほぼない状態から始まって、水田とジャガイモの状態は酪農
酪農はすぐには始めることができないという状況の時に、
そもそも酪農をする構想があったのか、ジャガイモ種芋畑業を起こしている途中段階で酪農の技術を輸入or知識を仕入れたのか。
酪農の構造的な流れを追うだけではなく、農業や酪農の転換期に機械化などがかかわってきているが、その動きの実際をさらに詳細にとらえていくとよいのでは。
その他にも、市場の転換も視点として持っておくといいかも

phase6 で酪農がなくなるという未来が想像できる一方、新規就農者の産業が参入することで存続は可能。しかしながら、そこまで固執してるわけではない。。
〇土地 
機械化の流れでそれまで続いていた産業が役目を終えるというのは良くある中で、
そこで新しい産業の流れを作りだそうという動きはもちろんある。
第一次産業リバイバルはその流れのなかで、実際にあることなので、そういう事例を参考にする。東立科の特性に近いものをピックアップしてみては.(というかここがカギになると思う。)

■結 都市の間について
間というのは海外にもあるけれど、磯崎さんはそこでの日本と海外の違い
を強調するために使っているので、定義 として興味の領域を狭めるという言い方をするのではなく、自分にとって身近であるから、という言い回しのほうがよい。

また身近でずっと触れ合ってきた空間に絞ってみる(相対化するために様々な場所を見ていく必要はもちろんあるが、)ということ自体は間違ってはいないので、言葉遣いのみの注意。

 つかわれ方。を見る。考現学的な見方を行う。または、視点を変えるということを行うと良いかもしれない。 例えばファサードから平面図が読み取れないのであれば、
平面に起こす作業を実際にするだとか。ふるまいを捉えることも大事かも。

補 芸大の修士、卒業設計 自分の視点による徹底的なリサーチを行う。
結果 詩的になっている場合が多いが、そこにかける比重などは参考にしたほうが良い。

間について学びつつ、アノニマスなものにも興味がある。→アノニマスなものの中にある間
なので今回結が最後に定義として挙げたものはその動きはじめだと思うが、
そのフィルターの特徴付の際に使うキーワードには気を付けながら作業していく。

■滝口さん 羽黒山の空間史

明治維新 
国学系の神道家(平田系『出口なお』で出、一方で本居宣長)を主軸に天皇を担いで議会制民主主義の欧米的な政治組織を作りを進めた。またここで、信教の自由、のために天皇集権型の神道は他の信教から独立させるということを行った。
八個神社天宥社
天皇の中でも重要な天皇をお祀りする神社が作られる。
皇族、不遇なものをお祀りする社殿ができてくる。

神仏分離令によって建築自体の変化は見られたか。→しっかり追えてはいないが、建築空間を変える必要はそこまでなく、実際あまり変わっていないと思われる。

明治初期の政策の転換期で修験霊山も様々な制度や領域を変化する必要に迫られた。今回のレジュメでもその劇的な動きが文章を追っている中でも感じ取れ、とても面白い。