6/27 C班ゼミ発表

B4の原竹です。

今回はC班の発表です。以下議事録です。

 

 

◇B4吉田「ゴシックとロマネスクの比較」
馬杉宗夫「ゴシック美術―サンドニからの旅立ち―」より
―ロマネスクからゴシック―
修道院と大聖堂
・大聖堂
二分化された利用客と、多数を収容できる空虚空間が挙げられ、都市のアイデンティティとしてみられる。
サンドニ修道院聖堂
ロマネスクのような明暗を基調としたものではなく、光を視覚的な物質として捉え、建築の構成の部分とした。
ハンス・ヤンツェン「ゴシック教会堂の空間について」より
・ロマネスク「有孔化」
・ゴシック「透明な、半透明な」
空間を視覚的なものとして、建築の部材へと関連する
フォンジムソン
「ゴシック大聖堂―ゴシック」より


[質疑]
Q.なぜこのようなロマネスクとゴシックの変化が生まれたのか。
ロマネスクは、建築だけの関係ではなく、文学など、多方面からの影響を受けた。
ゴシックはそうではない。
ゴシック建築を要請した社会の変化とはどのようなものだったのか。
A.ロマネスク、ゴシックの変化とは教会から。キリスト教から変化が生まれたのでは。
修道僧から、市民へと。新しい説教がゴシックに影響を及ぼしたのでは。
Q. 都市の開放とはどのようなことか
A. 修道院司教、都市の活動が活発化。土地、人民を持っている領主。と商人との交渉が発達。よって、商人や土地の住民が自治を行うようになる。これによって、平和に土地の自治権をもらう。都市の活発化。これらがルネサンスの素地を作っていった。
Q.ロマネスク建築とゴシック建築における彫刻の表現の違いとは?
A. ロマネスク建築においては、柱の装飾のように感じるようなレリーフに近い彫刻。建築の一部になっている。
ゴシック建築は独立性が高い。彫刻そのままとして証言されている。
Q. ゴシック建築は本来見えないものを視覚化しているといっているが、本来見えないものとは?
A. 切り絵を例として、切り出した部分が地として浮き出てくるように、空間の形自体が壁面に浮き出てくるような建築表現。それによって浮き出てくるものとは、建築空間なのではないか。

[まとめなど]
ローマ帝国時代に、帝国中に教会が作られる。ローマ帝国が崩壊後、都市が荒廃してゆく。この時、修道院ら帝国崩壊から逃げてきた者たちが、キリスト教を復興。これがローマ風(ロマネスク)と呼ばれるようになった。
民衆の心をつかめるような建築をめざし、光を取り込むような建築をめざした。
・都市の教会文化の成熟に寄与
ステンドグラスは光の演出とともに、聖書の表現も
建築、視覚芸術では大きな変化
ゴシック誕生前夜の建築には、ゴシック建築の特徴がみられる。
断面にフライングバッドレスのようなものがみられるなど
・ヤンツェンの空間の考え方や観念を理解して、解釈することが大事。
書かれていることに対して、その本に書かれているようなことを、吉田的な考え方で再構築すべき。

 

◇B4棟方「都市における世界観とは~渋谷の世界観~」
都市が持つ人間に抱かせるイメージ、都市のアイデンティティ
都市をいかにして知覚するのかということを考える。
~渋谷~
・Y字路という特性
近景と遠景
ヴェンチューリ「ラスベガス」
広告の正当性、正しいスケールと正しい用途
これらは近景と遠景に対して二つのスケールを持っている。
↓では人間のスケールにおいては?
ヤンゲール「建物のあいだのアクティビティ」
視覚は明確な水平性を持っている。
まっすぐ前を向いたとき、人間は左右90°は一目で見渡せる。
街路を歩いている時は、建物の一階の床と舗装、街路空間で起こっていることしか見えない。
水平方向>上下方向
・湾曲した道
視点が動くことによって、変化する景観が連続する。
・建物の密集
ファサード面の連続
建物の道を囲う面として見る
・坂の存在
坂の近くに対する影響


[質疑]
Q. 坂は上下方向の視線の誘導と言えるのでは、情報量が多いのでは。
Q. 道に対して鋭角に接続されている道など、どのようにしてこのような街区が生まれたのか
A. 歴史的なことでは。今は存在しないが、川の存在が影響しているのでは。
Q. 情報量的に 、Y字路だけではなく、T字路は?
A. 視線の開き。どちらの道も見通せる。
A. Y字路だと、広告の方向性がバラバラで、情報量など、都市的なアイデンティティが現れているのでは。
Q. 人という、都市のアクターが存在することによって、その都市を知覚することができるのでは。
A. 広告とは人の目線、存在があって初めて広告となるので、人を配慮して考えるのがよいのでは。広告にとって、人を考えなくては存在しえない。

[まとめなど]
・中心性(駅)があるがゆえに成立した。宅地、街区の成立的にはまた違う考え
面が内部空間的なものを作り出していく
R・ヴェンチューリ「ラスベガス」に対抗して、棟方佑香「渋谷」を作る……
都市の面など、そのような要素から、渋谷というものを、分析し、まとめる。

 

◇M2寺内さん「近代建築運動におけるドイツの工作概念」
ヴィルヘルム帝政期における建築運動の動き、取り組み
・工芸の重要性
工芸は多くの人々の生計となっていた。
芸術表現として、潜在的な文化の革新を象徴
・ドイツ製品の改善に芸術家、建築家、工芸家を動員
芸術教育運動:芸術家や建築家が講師となり、それぞれの地域で展開された。
19世紀では伝統的職人などを指していた中間層が、20世紀で大事にしていくために、中間層政策を行う。
・ムテジウス
ロンドンへの視察
イギリスへの調査を命じられ、アーツアンドクラフツや技術、文化を視察する。
アーツアンドクラフツ中央学校設立(ドローイング、材料への意識など、先進的な教育)
「建築様式とバウクンスト」という著作において、ゴシック・リヴァイバルにおいて、技術力、材料の判別法などは、芸術家ではなく、現場の技術者によって受け継がれてきたと指摘。
・ラントハウス
ラントハウスとは→カントリーハウスを都市郊外のの立地に合うように変形させたもの。過度な装飾を行っていない。施工に対して配慮もしている、
→ムテジウスの自邸が例として挙げられる。
ムテジウスが批判するラントハウス:シュッヘンハウアー邸
ムテジウス思想として、さまざまな諸芸術が調和した空間こそ、建築であり、建物を芸術作品として見ている。


Q. 中間層とは、労働者階層、様々な違いの説明を
A. ドイツ経済を回すにあたって、技術者を労働者にしないように政策を行った。
職人は知的な存在ではないにしても、政府が守るために、政策を行っていたのなら面白い。
職能を持った技術者を保護する。イギリスの産業力に対抗するための職人保護。
それぞれが持っている産業を復興?(地域おこし)のようなことを行ったといえるのでは。
Q. ザッハリヒカイトとは。その定義は?
A. ムテジウスは、建築を芸術として認識する瞬間というのは、すべてにおいて調和がなされているときである。と思っている。

[まとめなど]

ザッハリッヒカイトという価値判断は当時において堕落したものの対立概念となっているのでは。
ザッハリヒカイトをきちんと理解することで、進むことができる。