0607 B班ゼミ発表
B4棟方です。更新遅くなってしまいすみません。
今回はB班の発表でした。
以下議事録です。
B4上原 東立科(集落)の来歴
昭和30年〜 酪農主体の経営を目指す
↓第二次農業構造改善事業により大規模化(or離農)
牛舎+堆肥舎+サイロ、鉄骨造+腰壁:コンクリートブロック、平屋
↓経営悪化
離農
・機能を失った畜舎と牧草地が多くある
[質疑]
・東立科をどうしたいのか
離農して牧草地が多い、牛舎だけが残っている→土地の活用を考えたい
・集落内で完結しすぎでは?もう少し広義的に見たら面白い?
集落内で全てが完結しているわけではないし外に依存しているわけでもない
あらゆる要素の関係によってものの意味がわかる
・生活のネットワークのリアリティ→入植当時の歴史もそうだが、牛はどこからくる?燃料は、、、?といった素朴な疑問をたくさん積んでいくと浮き彫りになっていく。
・アクターネットワーク
地形、人工物、動物、全てが役割を持っていて(アクター)連関構造がある
関連性を見るのと同時にその変化も追っていくと面白い(抽象化しすぎないよう注意)
→壊れたネットワークを修復するような仕組みがあるはず
・福島アトラス03、アトリエワンを参考にして見ては?
理論を参考にしつつ現地で調査を繰り返す
・環境世界の読み解き(水上交通を通じた独自の文化、地域を取り巻く社会と空間の変化)がしたい
・地名と環境世界の関係性はあるのか
→土地の特性からの名前もあるが、土地の有力者の名前や行政規定によるものだったりで類型化が難しい
・霞ヶ浦四十八津組織図(元禄16年)→津−小津頭−組頭−津頭の階層構造をもっている
・明治36年測地図と昭和19年測地図では下田、新宮の地名が反転
[質疑]
・村と津(字義どおり)の違い?
村—行政区分、 津ー船着き場
・津—階層構造の違いは?
グループ的に大きく、ポテンシャルが高いところが津頭になりやすい
・なんの階層構造なのか?
支配的な構造なのか?役目的な構造なのか?(宿場町は政府からの要請的なもの)
漁における争いからの支配的構造→沿岸部だけの階層構造?
・まず津頭(北と南)の関係を見ていくといいのでは
・近代の開拓による変化
水戸—吉田神道による影響があるかも
・陸路との関係も見たい
・地名辞典の変化から歴史をみてみる
D2滝口 修験の信仰と環境世界—出羽三山にみる立山修験の影響—
・血の池地獄:山中に入れない女性が落ちる池で血盆経転読によって女人救済
・布橋灌頂:女人禁制の境界である立山登拝口の芦峅寺で行われた儀礼。布橋を渡ることで女人救済。一番現世寄りの焔魔堂での法用、行道を中心とする。
同様のことが出羽三山にもみられる
・祓川=山中の聖域と俗界を分ける結界、川を越える前の五重塔には血の池が描かれている
・参道の参拝方向に対して左方に此岸側に焔魔堂、彼岸側に姥堂→立山の布橋と諸堂の関係と同じ
[質疑]
・祓川橋を無名の橋と記すことがなぜ祓川の象徴性なのか
祓川は俗世と聖域を分ける重要な境界装置かつこの世とあの世を分ける結界 とも読み取れる→重要なものを記すことをタブー視していた
・地獄—浄土、俗界—聖域の空間的な整理
特異点を見出し、そこを聖域とする(意味づけする)
ex)阿弥陀如来と出家する佐伯有頼→雄山
・意味世界を図式として書いているとすれば、意味世界と実世界の関係性を見るのも面白いのでは
・ある超越的モデル(普遍性)と自然環境(固有性)との関係
川→俗界と聖域の境界装置 仏教では普遍的なもの
・修験が作り上げてきた世界 変化による忘却、偶有的だったものが普遍的になるe.g明治維新
橋—2つの堂の関係性、意味が失われる
B4木山 都市における“間”について
・磯崎新「見立ての手法 日本的空間の解」9つの間の概念がある
・1978年 間(MA)展 9つの間の概念を西欧の人たちに様々な芸術表現を介して視覚的に認識させることを試みた
・1998年 間—20年後の帰還展— 空<うつ>擬<もどき>見立て<みたて>の三つの概念の導入
・2018年 間の概念を考えていきたい
・撮った写真を9つの概念のどれかに当てはめる→重複が多く見られる
[質疑]
・間の写真—間を外部から見るのではなく、間内部から見た外部という視点の転換をしたら面白いのでは?
・3つの概念の導入は前の9つの概念となんの関係があるのか
9つの概念に違和感を感じる(重複したりする)
<間>と<うつ>と<もどき>と<みたて>は並置関係のもの?(展示の仕方はそのようにカテゴリーわけされていた
・<間>の9つの概念は例示的、3つの概念は行為的では?
前者は状態、ある意味で間のイメージが固定化する
後者はその意味を媒介したり拡大したり転換したり、人間的操作が入る
<間>の概念にこうした操作を入れて解釈を変容させたりしている
・間の定義は?
2つの物の間というイメージだが、ゆいの写真を見る限りそうでもない
感覚の限度があるはず、、、でないとなんでも間として捉えられる
実体的な対象で限度を決定する、概念的なもので限度を決定するのかで違ってくる
・人がたくさんいるところに神籬、、?本来の意味と反転してる、現身—living spaceでいいのか? 仮のもの的意味合いもある
・見立てによって変わってくる
間を見つける→ある言葉で解釈し見立てをする→他の見立てを重ねたりして見立てを変容させていく(オーバードライブしていく)
以上です。
B4 棟方