A班サブゼミ 1回目発表報告

サブゼミA班の1回目の発表内容についての報告です。

課題図書:ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(戸澤義夫・松永伸司訳,慶応義塾大学出版会,2017/Nelson Goodman,LANGUAGES OF ART,Hackett Publishing,1976)


発表者は、相川、大野、河野、今、馬です。

 

まず、この本の目標として、記号の一般理論に取り組むことで、「言語」「音楽」「美術」「ダンス」などを「記号システム」の角度から分析していき、それらのメカニズムを論じていきます。

 

 

 第一章 現実の再制作

1、指示

第1章の一節で作者のグッドマンは美術において、絵と対象の間に存在する指示と再現の関係を引き出し、絵は対象の再現であるかという問題から、今一般に捉えられている「AはそれがBに似ている程度に応じてBを再現する」という見方を否定し、「絵が対象を再現する、また、対象を指示し、類似と無関係である」という見方を確立しました。

2、模倣

一節の続きで、それでは、なぜ忠実な絵を描くには模倣と関係がないかというと、この節では、逆の視点で論じていきました。例えば、忠実な絵を描くには、対象をあるがままにコピーすることをできるだけ目指さなければならないとしたら、ある対象である男は友人であり、細胞の複合体であり、トランペット奏者であり、普通に考えれば、無垢な目に映るものとしての対象をコピーすべきですが、そもそも、愛情や敵意や関心によって曇ることなく、適切な距離をもって、十分に明るい光の下で、いかなる器具も使わないで見る、標準的な目は存在しないので、再現は模倣の問題ではないということを解明しました。

3、遠近法

この節は、模倣の補足として、一見遠近法は忠実に見えますが、それも難点があるということを論じました。まず、画家は、空間を正確に書こうとする限りは、遠近法の法則に従う必要があります。そこで、絵画の遠近法は幾何学的光学の法則に従うものであり、その規則によって描かれた絵は、描かれた光景が作り出す光線と一致する光線を作り出さないといけません。しかし、それを現実世界においては不可能なことであるので、西洋的な目にとって忠実に見えるような空間的再現を作り出すには、幾何学の法則を無視する必要があります。つまり、遠近法は絶対的で独立した忠実さの基準にはなりません。

4、彫刻

絵画だけではなく、彫刻などの他の芸術形式もそういった理論が適応すると論じる節でした。

5、フィクション

この節では、さらに、絵と対象の指示関係を掘り下げる節であり、3種類の指示が生まれました。

・単一指示:個別的な、人や集団や事物や場面を指す

・複数指示:絵は、特定のクラスのメンバーのそれぞれを複数的に指示することがある

・空指示:ピクウィックの絵もユニコンの絵も、実際に存在しない人物の絵はなんも再現していない

この三つの指示により、「ある絵はしかじかのものを再現している」ということは、両義的「何を指示しているのかを述べる」と「どんな種類の絵なのかを述べている」二つの解釈ができます。

6、トシテ再現

絵の再現には「何を指示する」と「どんな種類の絵」の使い方以外、人を再現する絵には、人を人として再現する絵と、人を人として再現しない絵があるわけなので、また、ここで、として再現という新しい使い方が出てきました。それはどういうことかというと、として再現は動詞と結びつき、人物を修飾し、絵に指示と分類二つの状態を同時に持たせることです。また、として再現は二つの状態を持つことで、絵を取り扱うとき非常に混乱しやすいために、絵にとして再現を使う時に、全体と部分を分けてとして再現で表し、適用するラベルに当てはめるのです。

7、創意

以上から再現の本質はラベルによって対象の分類と特徴付けであるということがわかりました。 ラベルとは世界を組織化する道具ですが、具体的に一つの刀があれば、野菜を切ると「包丁」というラベルをつけられたり、殺人すると「凶器」というラベルをつけられたり、キッチンに飾ると「飾り」というラベルをつけられたりすることができます。物の定義が無数にあるラベルの一つであり、ラベルを任意に選び出すことでグループ化できるものです。また、ラベルの適用対象をそうした他のラベルと関連させたり、ラベルの適用対象とそうした他のラベルの適用対象を関連させたりすることで、われわれは世界を認識し、組織化して行きます。芸術家たちはそういった関係の中で新鮮で意義のある関係を把握し、今まで気づかれていなかった類似と差異を引き出し、見慣れない関連を押し通し、そして世界をいくらか作り変えることで、創意というものが生まれるのです。

8、写実性

グッドマンはこの節で再現の写実性とは何なのかという副次的な問題を解いてみました。欺瞞説と情報量説を批判し、写実性の問題は再現様式がどれくらい定型化されているか、ラベルとその使用がどれくらいありふれたものになっているかに左右される、また、どれくらい容易に情報を得られるかの問題です。つまり、写実性は相対的なものであり、特定の時点における特定の文化や人にとって標準的な再現のシステムによって決まることです。

まとめ

つまり、この章では絵においての指示関係の一部を表しました。指示の中に再現が内包されています。再現は相対的で可変的な記号関係であり、指示的でない表示の方式と対比することもできます。

第二章 絵の響き

1、対象領域の違い

この章では主に一章に出た指示的でない表示の方式について論じました。まず、再現と対等関係になるのは表現であり、再現と表現はともに指示の一種であり、再現は具体個別的な対象に使い、表現は抽象的な対象に使います。表現は再現よりも文字通りではなく、表現されるものは受け手に生じる情動や感情です。

2、方向の違い

その表現にも、再現のような指示関係があり、ただ表現には所有の問題があります。例えば、「その絵は灰色である」と同様に「その絵が悲しい」と言えるのかに対して、絵は感情を持つものではない以上、「その絵が悲しい」は文字通りの意味で悲しいことにはならなく、それが意味するのは隠喩的な所有です。また、悲しいというラベルは灰色の絵というサンプルを指示し、それに表示される場合はその表現のメカニズムを領野と言います。

3、例示

二節のの例示は所有と表示によって成り立ちます。例えば、例示は述語やその他のラベルを例示すると仮定すると、「赤さを例示」を「(赤い)という述語を例示」とは言えず、フランス人にとって「赤い」ではなく「rouge」となります。「赤さを例示」を「(赤い)と共外延」的な何らかのラベルを例示することです。つまり、あらゆるものが支持されうるのに対して、例示されうるのはラベルだけです。

4、サンプルとラベル

 サンプルとラベルを身振り的システム、絵画的システム、図表的システムにある場合の働き方のメカニズムを論じました。ラベルはサンプルを指示し、サンプルに表示されます。

5、事実と隠喩

二節の絵の場合は、文字通り灰色で、隠喩的に悲しく、冷たい色をしている絵であることは「凍りついた隠喩」を示しています。隠喩が文彩としての活力を失うと文字通りの真理に近づいていくものです。隠喩とは過去を持つ述語と、適用を受け入れる対象に生じる対立、ルーティンの投射とは慣習により、既存のラベルが定まっていないケースです。ここで、いずれかの範囲に含まれる対象に述語を帰属させる場合は文字通り・隠喩的に真であり、いずれかの範囲に含まれない対象に述語を帰属させる場合は文字通り・隠喩的に偽であり、ただの多義語になります。

6、図式

隠喩を理解するには、図式が必要となります。まず、灰色の例の場合の図式は「灰色」と「灰色でない」のラベルセットで構成されます。ラベルセットは個々の互いに置換可能で、必ずしも互いに排他的である必要がないラベルで構成されます。また、図式から外延と領野が広がり、外延は各ラベルにそれぞれ対応するもので、領野は各ラベルの外延の寄せ集めで、図式に依存するものです。例えば、「灰色」ラベルの外延はあらゆる灰色の物事、「灰色でない」ラベルの外延はあらゆる色付きの物事であり、図式と外延が組み合うものは一領野と言います。

7、転移

図式では転移が発生します。移動先での働きは、慣習により制限され、例えば、温度を示す述語を音、色合い、人柄などに適用する場合はどの要素が「暖かい」かは、あらかじめ決まっていきます。また、「高い」を音に適用する場合は文字通りの高低から導かれるのではなく、まず、音の高さを単位時間あたりの振動数にあたり、「高い」を数に適用した先行例から導かれるのです。また、サンプルが別の領野でラベルとして働く場合もあります。例えば、「ピン」「ポン」の二分法(gombrich『art and illusion』)の場合は語(音)の領野で、「素早く、軽く、鋭い」の図式とあらゆる素早く、軽く、鋭い語(音)の外延があります。その中でサンプル「ピン」があるとして、物事の領野に転移すれば、「ピン」がその領野の図式になります。

8-9隠喩の諸方式と表現

隠喩には頭韻法、頓呼法、擬音語などのような数えられないものがあり、また、互いにそうでない場合隠喩、制約また限定された隠喩、隠喩的な例示など多くの方式があります。その様々な方式が表現の中で働きます。表現は多数の候補の中から特定の性質を選び出し、ほかの特定の諸対象との関連を選定(分類、構成)します。改めて、再現、記述、例示、表現の関係を整理していくと、再現と記述は記号をそれが適用される物事に関係づけることで、例示は記号をそれを支持するラベルに関係づけ、ラベルの外延に間接的に関係づけることで、表現は記号をそれを隠喩的に支持するラベルに関係づけ、隠喩的か、文字通りかを問わず、ラベルの外延に間接的に関係づけることです。

第三章 芸術と真正性

1、完璧な贋作

オリジナルと贋作の二枚の絵があるとしたら、これらの見分けがつかない場合、その二枚の絵には美的な違いがありうるかについて、まず、見分けるには絵をただ見ることが必要です。ただ見るだけというのは一般的な状況で物を見るときに慣習的に使われる道具以外のいかなる道具も使わず絵を見ることです。それでは、いったいそれはメガネ、拡大鏡などを使わずにどこまで許容されうるものなのかと言ったら、なかなか特定しにくいのです。仮にただ見ることができるとしたら、最高度に熟達した専門家が見分けることができるとして、たとえ美的違いを見分けられないものがあったら、そのオリジナルのものと贋作は同じだと言えることでもありません。それで、美的な違いがないことを二枚の絵から判断できる人はいないとグッドマンはそう論じました。ただ見るだけで美的な違いを構成する識別できない何かは次の節で解説しました。

2、答え

二枚の絵があり、それをいずれ識別できるようになるだろうという事実が重要な両者の美的違いを構成するのです。たとえば、ある時点のある人がどちらが本物か知っている条件で多くの二枚の絵を見るとしたら、いつか、ある未来のその人がどちらが本物か見分けがつきます。人は両者の間に何らかの違いを知覚できるようになる可能性があることの証拠であり、現在の見えに対して、そのような知覚上の区別のための訓練としての役割を与え、その結果として、二枚の絵を見る人の現在の経験を修正し、異なるものにするように促します。そう言った美術作品を見分ける能力の行使、訓練、向上は美的な活動であり、ある絵が持つ美的性質には、その絵を見ることで見出される性質だけではなく、それがどのように見られるべきかを規定する性質も含まれます。

3-4贋作不可能なものとその理由

絵画の贋作はよくあるものですが、音楽の贋作はなかなか聞いたことがないでしょう。グッドマンは一段階の芸術と二段階の芸術に分け、絵、版画、音楽、建築、ダンスなどを贋作可能なものと贋作不可能なものに分類しました。絵画はオートグラフィックの一段階の芸術であり、版画はオートグラフィックの二段階の芸術であり、ダンスはアログラフィックの二段階の芸術です。その中で、二段階の芸術の音楽と建築は、楽譜と建築図を描く一段階では贋作不可能なアログラフィックではありますが、建築を建てることと音楽の演奏の二段階では贋作可能なオートグラフィックとなります。つまり、落水荘は他のところに建つ時点でそれが贋作になり、演奏の曲の名前を別の曲の名前にする時点で演奏の贋作になります。贋作不可能の理由はある文学作品の多様な手書きのコピーや多数の版、文字、スペース、句読点の並びが正確に一致して入ればどのような贋作であっても、それ自体で正確だと言えます。それが記譜法の結果です。逆に贋作可能なものはオリジナルであるために必要な様相が記号などを持たないために確定しておらず、本物かどうかを確認するためには歴史的事実を確認するほかありません。また、その必要な唯一の証拠である歴史を偽称する場合に出来上がります。

 

この章での真正性についての議論はまだ不十分であり、いまだに曖昧な部分が多く、これから4章に入り、記譜法のメカニズムを分析し、また、真正性を論じていきます。

 

B4 馬