10/25 議事録

今週の発表者はM1(河野、今、杉本)の発表でした。

 

河野紗輝『公園設置の太政官布告について』

【発表】

明治維新以降の横浜の公園設置が特殊である。普通は太政官布告によるものだがそうでないので、まず「公園設置の太政官布告」がそもそも何かを変遷を追うことで理解しようとした。今後は横浜の公園について分類をして、戦後の他の公園との関連性を見ていく。

 

【質疑】

幕藩体制から変わるときに土地に関しての取り決めが変わった。

社寺の所有地も没収されていく。もともと寄進されたもの。

国は「公園」という名目で市町村自治体に管理させ、所有することで税収が期待できる。国にではなくじ自治体にお金が入る。上野公園、奈良公園も代表的な例。

公園を作りたくて作ったのではない、管理のための後始末ということを理解すべき。

文明開化、欧化による影響も考えなければならない。横浜はその影響が大きいだろうということ。

都市公園と自然公園の区別をしっかりして、文脈を考えるべき。

 

この勉強が横浜とどう関連するか?

直接関わってくることはあまり予想がつかないが、土台として必要と考えている。居留外国人が関わってくる

国土の一部を島状にして、欧米人に開放することをした。治外法権の状態を作り、その過程で同じくできたのが公園であった。

太政官布告とは関係ないが、「公園」という概念は少し関係してくるのではないか。

 

横浜の公園は何が特殊なのか。

接収解除がされた後の公園という点、時期がある一時期ではないので、様々な影響を含んでいるのではないか。神戸とかももしかしたら同じような影響を受けているかもしれないけどまだ調べが足りないのでわからないが、

 

接収解除前後で公園の規模なども変わったりしたのか?

あるとは思うが、はっきりしていない。

 

開港後の横浜が今の横浜。海外の影響は抜きでは考えられない。横浜の都市形成において、接収は大きい。この跡地利用が公園に反映しているので、公園を見ていけば、都市形成に対し、何か言えるのではないか。

 

制度の話しか見ていないのでないか。

制度と実際の公園を両方見ていくつもりである。

制度がやはり大事なのか。

まだわからないが、制度と公園そのものの関連性を明らかにしたい。

 

公園と接収がテーマであっている。

接収解除後の利用方法について、横浜と横浜以外の土地で比較できる状態なのか。

まだ研究が進んでいないが、資料を集め始めたところである。

 

オリジナルの作業としては何をするのか?

このままだとただ資料を集めてみていくだけになってしまう。

 

公園を設置したのは海外の人であるという結論でよいのか。

なぜここまで接収がされたのか。

地理的問題からくる利便性。

港があって東京までも近い。

 

横浜の発展は普通の都市の近代化のパターンとは違う例なのではないか。

戦争によって起きたことについては色々問題があり、解決がなされてきた。この過程に注目すると面白いのではないか。多くの議論も行われてきたのではないか。

ここを掘り下げてやれるかどうか。

 

 

今進太郎『グリッド研究に基づいた理論でグリッドを探す』

【発表】

「東京23区内に見られるグリッド状の都市空間に関する研究」を基に、10個の都市のグリッドを引く作業の成果。グリッドを見ることで、どこまで人間が直線を引けるのか、道路だったり、川、鉄道、既存集落などを基にしている。グリッドの寸法はどのように決まるのか。もっとグリッドを引けるはずの場所に何か力が作用しているのではないか、不整形のグリッドもその一つなのではないか。

 

【質疑】

既往研究の目的は?

グリッドは均質ではない、その状態を捉えていくことは東京を見ていく上で大事

結論

タイポロジーわけをして、河川、鉄道を中心に広がっているのではないか。

 

 

アウターリングは平な土地が多いので、台地などで途切れることがない。

インナーリングとは異なる特徴。

 

アウターリング内だけで見るとともに、銀座などと比較するのはどうか。

 

耕地整理、土地区画整理でできたグリッドがほとんどだけど、東綾瀬だけは緑地計画がされていて都市計画的な整備もある。

 

土地区画整理の考え方は都市計画の中にあるけど、中身自体は耕地整理法に従っている。

 

都市計画ー計画(全体の絵を描く)ー規制(斜線制限、日影規制)ー事業(土地区画整理事業

 

この図式で成り立っているので都市計画≠耕地整理ではない。

 

グリッドを決める要件、条件?(先行形態以外)

資金、組合の農地の範囲。

 

グリッドの寸法の共通性は?

設計基準は定められている。そこに地形的要因が入っていく。

宅地の等級。地価の高い場所性、車の多い道路が必要とか。

 

どんな事例があげられるのか。

条里制タウン、古代のグリッドが未だに継承されている可能性を見つけたいのではないか。

 

過去が積み重なって現在があるけど、その過去が表出している部分が見えるのがどんなプロセスで変形して今に至っているのかを見ていく必要がある。

 

物理的要因以外にもあるのか?

直行しているグリッドに興味があるのか

 

それに限定して探した。

組合の範疇の影響を受けているのならば、際の見方がまた変わるのではないか。

直交グリッドに関わらず、際は出てくるはず。

 

御家人から下級武士の宅地はグリッド。

グリッドとはいえ、とても長い吉祥寺

屋敷だけ中に残ってしまっている練馬もある。

 

このようにグリッドのタイプの分類をしておくことは大事である。

 

 

 

 

杉本まり絵『明治〜大正にかけての「宿」をとりまく環境について』

【発表】

紀行文をたくさんあたっているが、紀行文を書いているのがもてなされている側の視点だったので、もてなす側の視点も見ていかないといけないのではないかという意識。

『現代紀行文學全集 北日本編』を明治から大正のみ抽出。

【質疑】

この時代の家、宿を探す理由は

この時代から続いているところがあるのではないか。

一般大衆の目がわかるのではないか。

判断材料jはなに?それが一般大衆に向けてというところをどのように判断していくのか。

類型化するしかない。

 

規則を設けるのは都市部、郡部は除く。

都市では規則が設けられているが、田舎では規則がないのでわかりませんでした。という終わり方でよい。

境界がいかに曖昧か

 

 幸田露伴の中にでてくる「宿」は家という普通の意味かもしれないので気をつける。

昔は建物すべて家と呼んでいたのかもしれない。

 

出版社によって中身も変わってくる。

あるグループになるとそこにも主張がでてくる。

 

紀行文を書く立場の人は、どの立ち位置。

自分の拠点以外のことを書くことが大事。

 

志賀直哉、エゴイスト

佐藤春夫、詩人

川端康成

ロマン主義白樺派

 

島崎藤村自然主義

 

紀行文の中に、他のお客さんがでてくるパターンはあるのか?

ある。

 

気違い部落周遊紀行。

村の人たちの気違いぶりを書く。しかしこれは都市の消費社会こそが実は気違いなことなのではないかという逆説的リアリティ紀行。生活に入り込んでいるからこその批判と風刺が面白い。

 

家と宿をどのように図式化すればよいのだろうか。

重なっている部分もあり、違うところもある。ベン図みたいなものができるのかも。

 

家という言葉が現代と昔で違うはずなので、一つの簡単な図で表せるものではない。

概念がかなり違うのでそこは抑えておくべき。

 

研究は一場面だけを述べることができない、むしろ複雑に入り組んでいるから面白い。

この記述の仕方が最後に結論としてでてくるのではないか。

 

 

B4 櫻井