2016 5/26 A班 ゼミ発表
今回はA班の発表でした。
発表者は、門間、中村、中井、保川です。
門間 翔大「「建築と災害」に関する史的研究 ―1920-90年代の災害に関する種々の実践に注目して―」
・Bruce Mau, Massive Change, Phaidon Press, 2004の引用
・「動く建築―間(あわい)に開かれる可能性」…①から
・平時とは異なる"建物"が出現する。
・建築、土地、行政区画、さらに東北というという「枠組み」の再考
・産業構造の中で住宅産業の転換を重要なファクターとして捉える。
災害復興時の仮設住宅の注目。中でも住宅の工業化、住宅産業萌芽期からの担い手である「大和ハウス工業」に対象をしぼる。
Review
大和リースは仮説小屋の工業化に貢献した企業である。仮設住宅はその延長にあるのではないだろうか。
・①の目的・・・建築物と非建築物の間の可能性を探求する。災害が発生すると、その間が発生してくる。
建築物・・・土地固定される。法的定義有り。不動産。
非建築物・・・土地固定なし。(規模が比較的小さい)
仮設住宅は建築ではない。法的には建築ではないが、建築の形はしている。
船舶、臨時の劇場、仮設住宅などはその線引きの曖昧な場所に位置する。
・江戸時代から仮設住宅は存在した?バラックと仮説小屋(大工小屋)二つの延長が仮設住宅なのかもしれない。
・仮設住宅の技術的な進歩はそこまでないかもしれない。進んでいるのは水回り設備、断熱材、家電では。
・なぜ仮設住宅団地はなぜ作られるのか。人々にバラック小屋を作らせないため。復興の際に区画割りや、計画を建てやすくするため。土建屋や建設会社が利益を上げやすくなる。
憲法と開発主義による。
「福祉を提供することと、大規模開発を行い利益を上げる。」という二つの論理が見えてくる。
そうした大きな思想抜きの復興はあり得ない。
仮設住宅の研究を行うのみではなく社会背景やシステムなどを視野に入れた方が面白いのでは?
中村 彩 「東京の中の湾岸部の位置づけ」
[発表]
•湾岸部のコンテクストの不在→求められている機能を作る場としての湾岸部
•単一機能から複数機能への発展→工場用地から衣職住遊の複数機能へ
•年表による条例、住宅計画等の整理
•水辺の自然回復の方法
•今後は湾岸部の位置づけ、東京が湾岸に求めているものをはっきりさせていきたい
[質疑]
•大型の建物が経済理論の中で建設されるが東京湾湾岸部の中では消費の場がどれほど作られているのか
•東京湾湾岸部のそれぞれのリンクの仕方はどうなっているのか
•湾岸とは何か、最近の湾岸論はどのように語られるのか
•湾岸部は郊外と似た開発が行われている→おそらく郊外の形成される理論とは違う。湾岸は郊外よりも多彩なものを吸収できる場所となっているのではないか、新しい都市の種の実験場として湾岸部
•サブカルチャーが郊外化する事はあるのか
•コンテクストの不在で白紙状態な場所と言われるが実際にはその中にコンテクストがあるのではないか
•なぜ今湾岸部の研究を行う意義があるのか → 横浜との比較をすると良いのでは
中井希衣子「稲荷社の研究」
[発表]
•稲荷について→多様な神格の存在を認める宗教が聖祠を奉る事を許す
•何故残されるのか→たたり、税金、土地上の祠…非課税
•稲荷の由来 農民による祭祀→商工業の保護神→漁業神
•地蔵配置の類型→境界型と中心型
[質疑]
•小さい稲荷社を作る主体は誰なのか
•稲荷の発生などを追っていく研究などはあるのか→鎮座された理由は分かるが具体的な当時の状況は不明
•地蔵と稲荷はどう違うのか→不動なものか動的なものなのか
•現代では社会構造と結びついていない地蔵から都市空間の特質は理解できるのか
•対象エリアを定め稲荷社の前史を行うのが良いのでは
保川あづみ「装置としての廃墟。人との距離感。」
[発表]
•18世紀、西洋での廃墟ブーム、廃墟の美学が真の問題となる
•廃墟を題材とした絵画の紹介
•廃墟…ピクチャレスク美学として扱われる、定義不可能、装置としての役割等様々な認識
•廃墟は装置として扱われるのは距離感があるからではないか
•廃墟は死んでいるように見えて生命力がみなぎっているように見える
•日本と西欧の廃墟の捉え方→日本は死を受け入れない都市となっている
[質疑]
•廃墟の生命力がみなぎるとはどういう事か
•自分の廃墟のイメージと絵画の廃墟のイメージに連関があるのか
•廃墟は時代性が関係しているのでは
•絵画の中で廃墟の中に人間を描く事と描かない事はどういう意味があるのか
•当時の絵画で廃墟の復元は行われていないのか
お稲荷さんから仮設住宅、廃墟と様々な議論が行われました。
お疲れさまでした。
B4 大山 M1 芦谷