9.25 ゼミ発表A班1回目

9月25日はA班の後期1回目の発表でした。

 

 

 

和田

・3章1930年代の渡辺義雄の仕事と建築写真の成立について

・建築分野では最初期の建築写真家として著名な渡辺義雄を取り上げる。戦前期の仕事や言説の分析を行い、既往研究であまり言及されていない新興写真運動と建築写真の成立との関係も明らかにする。

・13世紀のカメラ・オブスクラから19世紀のダゲレオ・タイプやカロタイプを通した写真術と写真印刷術の写真史。20世紀前後のピクトリアリスムなどの近代写真の写真史などの背景をあげる

・優秀船や機械建造物の撮影の実験的な活動などもあった。

 

「機械」としてのカメラ独自の表現とはなにか。人間の目でみたような風景を描く絵画をめざした写真。しかし、「人間の目でみる」ということ自体も、遠近法などの枠組み(フィルター)を設定した上で行われている。モダンアートは、その枠組みを取り外すことを目ざした。そこで絵画には、絵の具やキャンバスなどの媒材があるため、そのあり方を模索することへと繋がっていった。新興写真運動とはモダン・ムーブメントの写真版という意味。

ビューカメラは、近代化の観点では遅れているが、その特徴に自覚的ならモダン・ムーブメントに関係するのではないか。

 目(身体)と世界の関係性を問い直したモダン・ムーブメントと媒材(絵具や機材)の探求という流れがあった背景を踏まえておく必要があるのではないか。

 なぜ「写真」を研究するのかを一文で答えられるようにする。

 

 

M2武田「霞ヶ浦における環境世界に関する研究」

常夜灯に書かれている名前、奉納される神社、それらの配置関係などから、近世以来の霞ヶ浦世界のネットワークを空間的にとらえる研究。

永山の金刀毘羅神社

常夜灯の銘文にかかれた集落の位置から、流通ルートが推定できる。

下高崎の館山神社

明治時代の常磐線開通に影響された部分が、北西海岸インディアンのトーテムポールのような心理、構築の変容があると推測できる。

 

質疑

・常夜灯が当時の地域社会の中でどのような意味を持っていたのか、などを地域史等文献をもとに仮設の献上をしていくべき。プラスアルファの情報にアンテナを張ればも少し研究が進みそう。

・大地と神社の位置関係、そこから見えてくる彼らの世界のとらえ方はどのようなものか。科学的に自然環境を解析してみることで、むしろ良く当時の世界観が見えてくるのではないか。

 

どこの何個の集落が集まって今の集落を形成しているのか。近世の領主は誰だったのかを示すと、地形的な特徴、近世までの支配体制、産業ネットワーク、江戸時代を通してどのように変容していったか。を、つかむことができる。

近世で束ねられる前にポコポコと隙間のあった地域一帯が、近世に領地一体として開発が進むと隙間なく農地開発などが進むため、近世以前から近世にかけての郷土研究などをあたってみるといいのでは。

 

 

越中

・宗教的・地域の死生観的なものとは異なる「火葬」について

・国際的に無宗教化が進み、火葬の割合が増えるが、100%にはならない。火葬用の炉・散骨エリア・火葬場などが建築的場として作られるようになった

・今後、火葬によって実際にどのような形式の変化があったのか、都市にどのような影響をもたらしたのかを調査

 

参考文献にある専門家の論文などはすべて読んだか。

歴史学の社会史、文化史などの文献などを読む中で、墓の着眼点で面白いというものはあったか。

土葬から火葬という観点と宗教という観点がある。

注目されなかった墓という観点から近代化を語る、という方向性もあるのではないか。例えば、すべてを均質にコントロールする社会主義国の論理が原因になることなどの着眼を増やす。

 

石原・伊沢