サブゼミB班第2回発表

文明の維持と土壌の扱い

-デイビッド・モントゴメリー 片岡夏実訳『土の文明史 ローマ帝国マヤ文明を滅ぼし、米国、中国を衰退させる土の話』(築地書館、2010)-

 

 

 

本書では1〜3章を踏まえ、4章以降は具体的な事例を数多く挙げ土壌の扱い方と文明の寿命を記している。今年度のサブゼミB班では1週目に1〜3、10章を理論編(地学編)として議論し2週目に4〜9章を事例編(歴史学編)として議論した。ここでは具体的な事例にて土壌と文明の関係について考察する。

cf.サブゼミB班第1回発表 - aoilab. 明治大学 建築史・建築論研究室 ゼミ・サブゼミ報告

 

 

10,000〜20,000年ほど前に農耕文明を開始した人間は、それから土壌と常に密接に関わりながら今日に至る。そこには様々な農業理論の発明や社会背景があり、土壌に影響を与え、また土壌もそれらに影響を及ぼしてきた。

 

1.みずから使い果たしたローマ

4章では「帝国の墓場」と題してギリシャ、ローマを始め様々な古代文明の誕生と滅亡を土壌との関係性から紐解いているが、ここでは古代ローマを扱う。

 

紀元前5000年ごろ、イタリア半島に農業が伝わり広まったとされている。当初のローマの農耕は集約的に運営されていて、畑は人力で耕され、自作農民によって鍛錬に管理されていた。しかしウシの家畜化と鋤が導入されより広い土地を耕せるようになり生産高は大幅に向上する。さらに生産高をあげるため大規模な森林伐採が加速。丘の土地は土壌生成速度より早く耕され徐々に、確実に、土壌は疲弊していった。

一方でローマ帝国は領地を拡大し、それを支える自作農民を増やしていく。

領地を拡大するための戦争により、農民が都市部へ流れ込むと多くの農地は放棄、破壊された。無人となった農地は貴族や有力市民として買い占められ、戦争で得た奴隷を労働力として大規模なプランテーションが主流になった。しかし、その土地に理解のない奴隷が労働することで土地は劣化してゆく。同じ生産高をあげるには土地を拡張しなければならない。拡張した土地も劣化してゆく…

この繰り返しによりローマの農民1人を支えるのに必要な土地は、紀元前750年では1haだったが、紀元前50年には10haとなっている。ついには土壌の劣化は文明を支えられなくなったのだ。

 

古代ローマの滅亡には様々な要因があったとされているが、土壌を劣化させて増大する人口を養うことのストレスは、ローマの解体に一役買ったと考えられる。土壌侵食がローマ社会に影響したように、政治的経済的な力が、逆にローマ人の土壌の扱い方を形成した。これらの関係は双方向に作用した。

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図1 ローマ文明の流れ

2.食い物にされる植民地

5章では「食い物にされる植民地」と題して、様々な植民地とその支配国の関係性がどのように生まれたのかを土壌との関係性から記している。

 

植民地の本質は、他国の豊富な資源を一方的に略奪し、自国は繁栄するというものである。

つまり、遠く離れた土地の土壌肥沃土を搾取する一方で、自国は工業化を推進してゆくということだ。土を現金に換え、収穫物が取れなくなると土壌は捨てられる。新たな市場を求めて土は開拓されていく。文字通り、植民地は“食い物”にされていくのだ。

 

この時代から始まる土壌疲弊の問題には、プランテーションなどの地主制度が大きく関わっている。土壌が疲弊し収穫物が取れなくなるという問題をもっとも重要視すべき人々(プランテーション所持者)が実際に農地で働いていないということだ。そこでは雇われた小作人と監督役のものが働き、肥沃土の維持よりも収穫量を増やし続けることだけを考える。これにより、土地が荒廃し、開拓をし続け、他国を収奪することになる。

 

3.ダーティ・ビジネス

1800年代になると新たな農業が生まれる。きっかけはグアノの発見だ。

グアノ(鳥糞石)はリンと窒素を多く含む天然の無機物で、これにより化学肥料への扉が開かれ、土壌を維持するために対比に依存することはなくなった。つまり、栄養の再循環に頼ることはなくなり、栄養が消費者へと一方通行で移動するようになったのである。工業的農業のはじまりだ。

 

工業的農業に対し警鐘を鳴らした人物もいた。地質学者のヒルガードは、土壌は起源、歴史、環境との関わりによって成り立つものであるため、この循環を断ち切り化学肥料に頼ることは土壌の疲弊を助長する危険な中毒だと考えた。対して農務省土壌局長となったホイットニーは、土壌は作物が必要とする以上の養分を持っていて、「枯渇することのありえない唯一の資源である」とさえ言った。

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図2 ホイットニーとヒルガードの土壌の捉え方

8章の後半では有機農法の優位性についても触れている。1974年のバリー・コモナーの研究では慣行農業と有機農業が生産コストを考慮すると同等の収入を得ていることを報告している。つまり、工業的な農芸化学は社会的な習慣であって、経済的要請ではないということだ。さらに、政府の直接的な補助金が土地を劣化させる慣行を助長している。

 

8章の終わりは著者の、現代の農業はどうあるべきか、という主張が記されている。現代農業に与えられた課題は、いかに伝統的農業知識を現代の土壌生態学の知見と融合し、世界を養うために必要な集約的農業を、推進・維持するか、というものである。一度失われた土壌を畑に戻すのは、途方も無い費用がかかる。はじめから畑に土を保っておくことが最善であり、効率の良い戦略である、と著者は主張する。

 

4.西へ向かう鍬

1600年代にアメリカへの入植が始まり新たな農地が次々と開拓されてゆく。

北部は養分に乏しい氷河性の土壌によりトウモロコシの集約的栽培はすぐに枯渇し工業化した。一方、南部はタバコのプランテーションを行い土地を疲弊させ、奴隷を用いて新しい土地を南西に開拓していった。南部の土壌はすぐに疲弊し、その土地を手放して南西に向かうことを繰り返していると、激しい土壌侵食が起きた。原因には次の二点が挙げられる。大プランテーション所有者が自分の土地を耕していなかったこと、奴隷制が土壌劣化を元に戻す手立てと相性が悪いとこである。奴隷制は単純労働が最大の利益をうみ、単作プランテーション農業や機械的な手順に適するため、その土地に合わせ手立てを変化させる土壌を維持する手立てとは合わないのである。

 

激しい土壌侵食によりアメリカでは砂塵が起き、アラル海などで砂漠化が起きている。これらの出来事は、社会的かつ長期的な利益を守るにはどうすれば良いのかという問いに多くの人の関心を向けることとなった。広い面積を新型の省力機械で耕作することは、化学肥料に格好の市場を与えたが、農場経営の規模はもはや農場が土壌肥沃度を再生する能力に制限されることはない。農業はあらゆる産業の基礎であるが、我々はそれを単なる産業プロセスとして扱っているのだ。

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図3 テキサス州ストラットフォードに接近する砂嵐。1935年4月18日(アメリカ海洋大気局、ジョージ・E・マーシュ・アルバム、www.photolib.noaa.gov/historic/c&gs/theb1365.htm)

 

5.成功した島、失敗した島

ここまで様々な社会の盛衰を見てきたが、共通する社会を維持するバランスは次のようである。

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図4 社会を維持するバランス

このバランスを実現するには、以下二つが必要である。

減少しやすい「土地が支えることが出来る人口」をいかに「長期的に」増やすか(左辺を増やすか)、それを世代を超えて実行できる社会・文化を作ることと、食料が十分にある時緩やかに増加する「すでに住んでいる人口」のゼロ成長を目指すこと(右辺を変化させないこと)である。

9章では「島」という限られた資源ベースではどうなるのかということを様々な島の事例を挙げて説明している。大陸から大きく切り離されたマンガイア島とティコピア島を対比的に扱う箇所がある。

 

マンガイア島は51.8㎢、ティコピア島は5㎢という面積の違いが二つの島を大きく左右する。

マンガイア島の大きさは、「我々と彼ら」の力学を生むくらい大きい。大きく結合の弱い社会は短絡的な利益を求め、焼畑農業を開始し、土壌劣化が起きたのち絶え間ない資源争奪と人口激減を経験する。

対するティコピア島は、その狭さから全員お互いに知っている社会が生まれ、総意による意思決定を促す。ティコピア島もはじめ、焼畑農業を行ったが長期的な視点から焼畑とブタの生産をやめ、多層式栽培を導入する。上部ではココナッツなどの果樹を栽培し、地面近くではヤムイモを栽培することで、土壌の侵食を抑えていたのである。また、宗教観念的な人口のゼロ成長も実行された。つまり、ティコピア島は人命の犠牲で維持されたユートピア的制度を実行できる社会であったのだ。

 

6.生環境における連関

『土の文明史』を受けて、サブゼミB班では以下の図版を作成した。

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図5 生環境における連関

我々が今踏みしめている土とその下と地上の連関で、我々が生存する生環境が成り立っている。多くの要素が文明の終焉には関わっているが、肥沃な土壌が十分に供給されることが文明の維持には必要で、土壌を価値のある相続財産として扱うことに文明の生存はかかっていると著者は記している。

 

サブゼミB班の3週目では、『土の文明史』を踏まえ、生環境から生まれた構築物の関係性などについて具体的な事例をあげ考察する。

 

B4 石井