6.27 C班ゼミ発表

6月27日はC班の3回目の発表でした。

 

 

B4伊沢

 

  • ロバートベンチューリの3作(イェール大学数学教室コンペ、ナショナルギャラリー・セインズベリー館、ニューハーモニー・ヴィジター・センター・アセニアム)での理論の実践を分析。
  • ダイアナ・アグレストの『デザインーノン・デザイン』では、建築に文化的問題性を真の関心の領域に入れてこなかったという当時の問題意識がわかる。建築デザインは、新しい経済・技術・機能・象徴といった問題が新しい形態の生産、既存のデザインヴォキャブラリーの変容をもたらす。(フランス啓蒙主義、マニエリスト)

前者は物理的コンテクスト、後者は社会世辞的、文化的コンテクスト という風に分類できる。

 

文化的コンテクスチュアリズムは、当時自分たちがやっていたことをコンテクスチュアリズムとして意識していたわけではない。となると、社会的コンテクストと呼べるものは無数に存在してしまう。

コンテクスチュアリズムというとあるカタをもつが、コンテクストについて話すと無限に繋がっていく。社会的コンテクスト無しには建築は存在しない。そこに対して社会的コンテクストを繋げて言及することになんの意味があるのか。

なんらか政治思想、権力を国が求めてくる場合、それに建築家が応えるという場面がある。(つくばセンタービル→磯崎、チャールズ皇太子→ベンチューリ)このことも、文化的コンテクスチュアリズムの中に位置づける事ができる。

 自分が気になる建築作品に対して徹底的に記述してみる。という事に取り組んでみるのもいいかもしれない。

 

 

B4 水原

 

能作文徳に見るアクターネットワーク理論

10+1 「建築におけるアクター・ネットワークとはなにか」から、自分が魅力的だと感じている、様々なモノや意図が混在している状態はこのナラティブの創出に価値を見出しているのではないかと仮説をたて、それらをアクターネットワーク的に捉えていく。

 

ナラティブの創出に価値を見出すとは具体的にどういったことか?

色々な要素が混在している状態が個人的には興味があることで、アクターネットワーク的に捉えたときに、その中に見えるストーリー性が好き。

 

興味がある空間をアクターネットワーク的に捉える作業として、リサーチの量が膨大になると思うが、やる狙いとしては?

個人的に路地はいい空間として思っていたが、その路地空間をアクターネットワーク理論によって多様な関わりを考えていきたい。

 

良いなと思った場所がどう成り立っているのか、アクターネットワークにのっかった上で、独自の表現を模索したいのか、場所の実践としてやっていきたいのか?

自分が良いと思っている空間は意図的につくられているイメージが湧かない。そこをアクターネットワーク的に捉え直すと見えてくるものがあるのではないか。

 

モノだけではなく人間の活動も重要

卒制でそこを考えていくと、バーチャルなことで、リアリティがないとインスタレーションになってしまう。研究として何ができるか、何をやりたいかを限定して、集中して取り組む必要がある。

 

 

D2和田

 

建築写真がどう変容してきたか。

アート紙にすられている作品は空間を見せたい写真で、ザラ紙ではカット写真を用いるという傾向があり、経済的状況、雑誌戦略的狙いが混在しているように思う。分類していく予定。当時の建築雑誌を買っていたのは建築の高等教育を受けていた人である。とすればまず、東京大学その次はどこなのか

近代化が広まってくると、掲載を望む人(建築家)が地方にも存在してくるようになる。また、施主やその他想定していない需要が出てきたりする。

戦前、戦後で区切ってしまう事については考える余地あり。

雑誌を構成するアクターはどのくらいの時期に今の状態に整ってくるのか。写真でいえば建築写真家が現れ、それらがインハウスの状態になり、雑誌編集者という職能が機能し出すのはいつ頃からなのか。

 

 

M1 棟方

 

フォルムとマテリアル

建築の設計(フォルム)とインテリアデザイン(マテリアル)への要求の変化から、インテリアデザインの歴史を追うことでそれがわかるのでは。

内田繁『日本インテリアデザイン史』からインテリアの歴史を追っていく。

 

昔の百貨店ではデザインごとに違うことはなかったのか?

ショップ部分では店舗ごとに違うインテリアデザインがなかった。大体は統一性のある西欧からのデザインだった。

 

ブランディングの話では広告戦略的なことが関わってくると思うが、インテリアそのものに興味があるのか、ブランディングに興味があるのか。

インテリアデザインがブランドのイメージを表現することには興味がある。

 

インテリアデザインには、建築のような様々な構造的システム性がないため、慣習や流行であったりする。また、ジャンルも複雑なため追うのが難しいので、個人や集団に絞って調べていくのが良いのではないか。

 

 

担当 山下 石原