6.13 D班ゼミ発表
6月13日のゼミはD班の発表でした。
李「東京の秩序~タワーマンション群と木密地域のフィールドワーク~」
小さな秩序=建物とみて、建物の表象や建物の間にある具体的なものに注目しながら「暮らし」が存在する地域に絞り、フィールドワークを行った。
- 蒲田(木造密集地域)
付属的な建物が隙間に多い、敷地内の駐車場が狭い、道路面だけ高さの違う建物が見られる、植栽がとても多い、建築基準法によるセットバックと未舗装道路(砂利道)と舗装道路の混合、植栽による緑のファサード、空き家の取り壊しによる見えなかった壁の露出、グリッド状の道路で人の振る舞いが見られた。
- 東雲(タワーマンション)
マンション敷地内の緑のスペースがあり一部が公開空地になっているが人は少ない、ショッピングモールには人が多い、子連れの家族や住民のゴミ拾いが見られた。
- 町屋(木造密集地域2)
不燃化促進用地や空き家撤去促進(ご近所ファーミング)、過密すぎるため塀が無い住宅が多い、壁を共有する家が残っている、見えなかった壁には窓が無い、敷地に収まらなかったものが路地にあふれる、不整形地域の空地は駐車場などになることが見られた。
・蒲田と町屋の建物の疎密の違いは?蒲田はグリッド状のため土地的価値がある。町屋の方は、不整形のため建物の活発化が見込めず、人が減少するのではないか。
・蒲田と町屋の図面の色が塗ってあるところはなにか→緑と付属的なもの
・数字のものが秩序?=増築にルールがあり、意図があるから秩序があるのではないか。→大きな秩序には関係あるのか→大きな秩序が見えてくるのではないか(深層心理ではないか)
・世界観ではなく、小さな秩序が生まれる理由があり、それをフィールドワークで見つけた?
・この図で言うと秩序とはなにか?→住宅や過密という背景があることに対し、ここにどんな傾向(反応パターン)が生まれているか、ということか。現実には慣習などにより場所の諸条件による反応のパターンが生まれた。そこから発展して露出したものの集積の仕方のなどのパターンも変わってくる。
森山邸の暮らしのパターンと街の暮らしのパターンは、異なるものであると感じた。
・街区一つをとって調べていくのはどうか。
・減築的なもの(マイナス的なもの)から生まれる新しいものにも目を向けておくとよいのでは。
・ご近所ファーミングは、トップダウン的な、計画的なものであると思われる。
・おばあちゃんにインタビューすることで、行動のパターンを聞くことでモノを含めたネットワークを生み出せるのではないか。
- バロック=歴史事実+それを特徴づけ名づけた後世の意識
宗教や王権のプロパガンダとして設計され、それを見る人の視点の設定を重視したバロック芸術の歴史事実、十七世紀に生まれたバロック様式は表象システムが近代化に向かう画期となったということ、十七世紀の表象システムの変化のキリスト教への影響などが挙げられる。
- キリスト教建築の歴史
ヨーロッパの多様な部族のうごめく広い地域にキリスト教の信仰共同体のまとまりとしてのまとまりが形成されたこと、キリスト教において神がわれわれの経験を越えているという意味での「超越」的な関係が教義の要であるという事が挙げられる。
一般の建築史においてはルネサンスやマニエリスムなどにおける特色が意匠の変化として、特に宗教に触れることなく建築的形態の変化だけから記述されることがほとんどだが、それに対し、これまで存在していた秩序の危機を前にした人々の試行錯誤がもたらす宗教的危機への対処の一つとしての見方もできるのはないかと考えた。
・形態だけから語られたという部分に違和感がある。オカルトにもつながるという部分に興味→キリスト教は社会の一部として語るか否かという問題がある。まず、フォルマリズム的に形態と知覚というものを独立して考えることをしなければ「様式」を考えることができなかった(様式史)。そのあとで、人間がどのような活動をしていたか、当時の政治・経済はどうなっていたか(社会史)という考え方にうつっていった。これらの研究は重箱の隅をつつくようであったとも見る事が出来る。そのあとでふたたび自立的なモノ(生産・物質・テクトニック)なものへの関心へうつっている。
・バロックの建築家は、意識的であったか、どう方法として実現したかということはこれまで語られてきたか。バロックが観客を意識していたということを前提にしている部分は曖昧なのではないか。
・様式を区別したヴェルフリンたちは、実証性よりも「自分達の問題」として見ていなかったか。
・バロック建築の一次資料に移ってもいいのでは。建設に関わった小さな出来事を調べていくなど。→一次資料は難しいので、建築家に即する、教会を限定、施主に限定してもいいのでは。
・ヴェルフリンの中心とした対象はなにか?→彼が恐らくイタリア十七世紀における代表的なもの(ベルニーニ、クアトロコンターノ)を調べる、そのあとでヴェルフリンがどう見たかを調べるのがよいのでは。
B4伊沢が担当しました。