6.6 B班ゼミ発表

6/6のゼミは、B班の発表でした。

 

発表順は、大野→石井→石原の順です。(滝口・山下・高木は欠席)

 

 

 

M1大野〈日本におけるデモ運動の歴史〉

 日本におけるデモの運動の歴史を概観する。1990年頃にデモンストレーションという言葉が持ち込まれ、以降食糧難や物資不足、日米安全保障条約反対、皇居前の使用奪還を目指した学生運動などが1970年頃にかけて行われた。続く1972年の山岳ベース事件・あさま山荘事件は、共産主義同盟赤軍派日本共産党神奈川県委員会が合流して結成された連合赤軍によって引き起こされた。この事件は、死者を出すほどのリンチが行われるなどの過激なものであったため、この事件以降の学生はデモや学生運動を避ける「しらけ世代」が現れ始めた。また政治への意識はあるがどこの党派にも属さないノンポリティカル層も発生した。2000年代は、イラク戦争に対する反対デモでは暴力に訴えない徒歩デモが行われ、3.11の原子力発電所反対デモでは整列などの「行儀のよさ」が意識されたデモが行われている。

 

【議論】

他の研究選択肢はあるか=戦後からのデモ運動における空間史という対象は定まった。しかし、場所や実際の空間を見つけることに迷いがある。→具体的な研究をこれからやればいいのではないか。

デモの時、道路はどうするのか=主催者と警察が話し合い、市に案を提出する事が行われる。また、おおまかな人数の報告なども行われる。

デモのよって周辺に与える変化も含めて考えられるか=観光地化されるなど。→新宿西口の広場でもフォークソング活動の暴徒化から集会行動が禁止された。(日本における広場概念の圧殺)管理効果の遺産ともいえる。また、デモに共感する商業店舗などが無料で提供するという事例もあった。

沖縄のデモはどうか=今回は含まなかったが、ありかも。

・安保のデモは、特定の団体がやるものではなく、国民的な運動だった。1945年集結から15年しかたっていないため、戦争経験者がまだ多く、平和条約を与えたアメリカへの戦争協力への違和感などが強く表れた。70年代の学生運動は、戦争を知らない世代によって、体制化していく大人たちへの批判として行われた。以降内部権力の維持などによる分裂などが起き、政治的な主張などからかけ離れたものになっていった。あさま山荘事件などの結果として、デモが「特異な人たち」が行うものとして意識づけられた。それに対し、現代ではクリーンなイメージを持った「開かれた」デモが目指された活動が行われている。その空間的な展開をしらべるために、具体的な対象を決めて調べる必要がある。

デモの場所は、どうやって選ばれたのか。=例えば、1946年の戦争の責任者としてあった元首としての天皇に食料の不足を求めた。

1946年のデモ計画は、デモ計画があって行われたのか。=そもそもデモの発想がなかった。→事前の計画の有無を見る事で、警察の介入との連動や商業施設との関係を調べやすいのでは。

 

 

B4石井〈天井高調査〉

 天井高調査を引き続き行う。アッタロスのストアは、ギリシャのプロポーションから決定されたと考えられる。フォスカリ邸は、階ごとに階高が異なるため機能が生じたのではないか。円覚寺舎利殿は、中央の天井高の伸びがあるのが日本において珍しい。ギャラリーファイアットは各階の天井高を決定したあとで、床を抜いていったのではないか。東京アパートメントは、各階の天井高を細かく決定していった。聴竹居は、開口部の大きさと天井高は関係しているのではないか、また部屋の機能によって天井高が変化しているのではないか。

 

【議論】

天井高を決定する要因で面白いものはあったか。=兵庫県の民家の例のわずかに天井高の違いは、意識的に変えていかなければ変わらないのではないか。

どのようにしてこれらの建築を選んだか。=昔のものの例が少なかったので、上段のものを選んだ。下段は、面白そうだと思ったもの。

断面の例を選ぶ際の定義づけが欲しい。どういった動機で決められているか知りたい。分類の軸を決めるというより、選んだものなどから共通点などを見出してほしい。また、スケールや書かれ方を揃えるのがよいのではないか。

分類をしないのならば、何に気づけばいいのか。今回選んだものに気づきはあったか。=円覚寺舎利殿の垂直の方向への伸びはゴシックと似て非なるものがある。ゴシックはハイサイドライトとして取り入れ、円覚寺は光を下から取り入れて上に光が伸びていく。

・数値それ自体である絶対寸法は、そのまま残し、人間をいれるなどをするとより検討しやすいのではないか。相対寸法の方が豊かな議論が広がる。また、キリスト教の概念などの裏付けなどの投影などの要因を知っている必要はあるが、基本括弧にくくり、空間を決定づけている論理を見抜く必要がある。

・聴竹居の縁側の軒のラインは景色を切り取ることで決定している。また、天井高は基本一緒であり、空気の抜けを行うための通り道などが確保されている。

・断面図に写真を加えることで、プロポーションや素材などの情報を考慮することができるのではないか。

 

B4石原〈造形がもたらすイデオロギー

 異教徒が同じ空間に共存する状況と円という造形がもつ役割に注目する。具体的なモノによって調停されているアクティビティを見るために、正枝祭と祝祭にともなうアクティビティを矢印として平面図に書き込んでいき、アニメーションを作成した。それによって複雑なアクティビティは円の造形がもたらす影響を受けているのではないかと考えた。円という辺への圧力が平均化されている形が移動のしやすさを促し、円のなかに位置する二つの点が知覚する面が交わらないことで、ここを起点として行事が同時に開始されているのではないかと考えた。そこで、自身の興味は「雑多な人々が1つの世界で共存するとき、それを調停するモノの存在は不可欠であり、創発されたモノはイデオロギーを発し世界を成り立たせる。」と整理することができた。また、これまでの設計においても美術室を区切る壁や、小学校にかかる大屋根などはこの興味の上にあるのではないかと考えた。

 

【議論】

聖墳墓教会の柱や階段は必要不可欠ではあるが、規則が先かモノが先かによって変わるのではないか。=要請されてできた壁が違う意味合いをもつ例もあるのではないか。→ルールの形成にはモノがかならず関わっている。また人間の量(数)もそこにモノとして参加している。

聖墳墓教会の円は、壁ではないもので円を形成している。これが、関係を調停するのではないか。→先に建築物があってそれに活動が対応したのではないか。→重要なのかは議論がある。

・モノなかにある、革新的なものあるいは居室的なもの(付属的なもの)が生まれている。それらの寸法や人間の数、門の開け閉めなどの見方ももっと見ていく必要がある。

・自らの設計として展開していくこととは直接的繋がらないが、緻密で具体的な要素を一つ一つ見ていかなければこの関係性を作り出すことができないため、聖墳墓教会でそれを把握することは重要なのではないか。

 

以上、B4伊沢が担当しました。