11/28 ゼミ発表
D班の3人の発表の議事録を以下にまとめます。
D2 滝口さん
近世の羽黒山上には本社(大堂)を中心とし、多数の社堂と清僧修験の坊舎が建ち並んでいた。これらの施設の構成と、山内運営上の組織、教養的な意味付け、祭儀等との関連について考察する。
1668〜1868年までの200年間、羽黒山上の主な社堂、坊舎の位置などに大きな変化はなく、基本的構成は近世を通じて維持されてきた。
羽黒山上の施設は、神仏を祀る社堂と清僧修験者の住居である坊舎群からなるが、両者の施設は明確に区分される。その境界の印として上下の華表(鳥居)があり、社堂群からなるエリアを中心に上下華表の外側に坊舎群が形成された。
■社堂群エリアの空間構成
開山堂と東照宮が重要
開山堂は羽黒山開山の能除太子を祀り、能除堂とも呼ばれる。開山堂は毎月20日に祭儀が営まれた。正面には護摩壇が位置し、山内の最高職である執行の就位にあたり、柴燈護摩の儀式が行われた。
東照宮は別当天宥の一連の事業として、天保2年(1645)に勧請された。毎月17日に祭儀が行われる。神社の中に東照宮が入っているのは珍しい。東照宮創建の背景には、羽黒山と庄内藩の間の複雑な情勢が関係している。
■坊舎群エリアの空間構成
山上の清僧修験の坊舎は大きく東西に分かれ、合計20数余坊に及んだ。清僧修験は非妻帯僧で別当から配当米を支給され、山内組織の最上層を構成した。清僧は、先達寺、上座、平僧、看坊、門柱寺の五階僧に分かれていた。
行人
坊舎配置に注目すると、社堂エリアとの境界付近の行人寺の存在が注目される。行人とは、一生の間別火精進を続け、山外禁足を守った下級宗教者をいう。
質問
寺さん
坊舎が東と西に分かれるのは道によるもので、道による性格の違いはあるのか?
ー上下の関係などがあったり、月山に峰入りする道があったりと道による性格の違いはある
図版の道の色の違いは?
—石畳であったり別のものであったり、仕上げが違うのでは
青井先生
本社内陣の床下の御神秘とは?
—タブーである。
由緒は?
—口伝で伝えられるため正体は不明。文字で伝えることが禁じられている。
まりえさん
7、8月の花祭は鏡池や階段によって池の周りを回るといったことがあると言ったが、空間構成が祭儀に影響を与えることはあるのか?
—7月の花祭が一番大きい祭で開山堂は能舞台になる。
あづみさん
先行軸があってそれに従って坊舎群の配置が決まるのか、それとも地形によるものなのか?
—配置の決定は地形によるものが大きいのでは
今さん
構成は南北軸があるが、人の行き来は南北軸を直行して横断するようなものがあるのでは?
青井先生
動線の向き(人間の軸)と神の軸があわないものがある。神の軸と人間の軸を考える。まっすぐだと一致するし、斜めでもベクトル成分が被ってしまう。直行だと人間の軸が0になる。
地形を等高線で書き起こすと良いのでは。そうすることで地形の細かな動きが可視化され配置の関係がわかる。
社会構造を分析してみるとよいのでは。全体が一つの社会なのか、あるいは幾つかの独立した社会の群(集合体)として羽黒山の社会がなりたっているのか。
M1 相川さん
チーム10 都市の持つ構造
構造主義の台頭によって、都市論(建築論)が生み出されたと考えられ、その時に様々な建築運動体が構造主義思想のどの部分を利用し自分たちの地平を切り開いていったかを明らかにする。
研究方法:ノーテーションと言説による分析
CIAMの若い世代によって立ち上げられたチーム10を主軸に、その後の都市計画の中心的な方法論を生み出したアメリカ、構造主義の台頭によって注目されるようになった世界諸国のうち、日本を取り上げる。
チーム10
■ピーター&アリソンスミッソン
ある都市に対して隠れた構造を表出するような都市インフラを提案
■アルドファンアイク
「建築は都市であり、都市は建築である」
集落研究から見出された構造を都市、建築に応用
「フィラデルフィア・シヴィック・センター・フォーラム案」で集落のようなサーヴドスペースを提案
■メタボリズム+丹下
東京計画1960の提案について構造主義の視点から解説
チーム10と共通の視点を持つことを発表
構造主義は建築、都市論に影響を与えたといわれながら、その関与ははっきりとしていない。構造主義という概念の広範さが原因だと考えられる。言語学における狭義の構造主義ではなく方法論として建築家が導入していたと考えられ、都市に結びつける場合はどのような方法を取っていたのか。
質問
まりえさん
チーム10を主軸にしてどんな論文に仕上げるのか?
—チーム10は方法論として構造主義を導入している。その方法論をつかってノーテーションで表し、構造というもので捉えたとき空間がどう影響されるのか。
青井先生
この論文においてノーテーションは何なのか。この論文はノーテーションに向かっているものなのか?それともチーム10を主に取り上げるのか?なぜ今、チーム10をやるのか?
—構造主義を理解し、自分の研究につなげていきたい。
和田さん
槇文彦著『Investigations in Collective Form』が参考になるのでは
・コンポジションフォーム 構成的に配置する/集合体の作り方
・メガフォーム インフラストラクチャー
・グループフォーム 群造形
槇さんは群造形を目指した
まりえさん
図化した関係図があると良いのでは
寺さん
今日の資料のノーテーションはどこから拾ってきたのか?
—チーム10のノーテーションがまとまった資料から
青井先生
ノーテーションと言わずにドローイングといったほうが良いのでは
B4 図子さん
Zaha Hadid と Tangent Drawing
—テクストとしてのDrawing—
「格好な手掛かり=イコン
イコンの特徴は図像であると同時に言語的である。
直接的にある対象を、視覚的に結びつけて把握することも可能だが、それが言語の語彙のように使われる。
「視覚印象の纏め上げ」
二種類の原理
原理1:見る人が動くことによって、1つの対象物をいろんな方向から眺め、キュビズム的に1枚の絵に描く。
原理2:同時に存在しないものを独立した別個のものとして図像を描く。見る人に統合を強いる。
時間型:例えば、牛の足を5本で描くとすると、真ん中の足は動きを伝えるため描いているといえる。
空間型:1つの形が歪んでいる。
原理1—空間型、原理1—空間型、原理2—時間型、原理2—空間型と表せる
「意味論的な統辞法」
ドローイングは言語的な側面をもっている。ある語彙との対立や反転や結合といった論理性をもったかたちでいろんな形態を生成していく力をもっている。
ザハ・ハディドのドローイングにおいてはかたちの直接性を保持している。
質問・まとめ
青井先生
分析・考察のベースになっているのはウスペンスキーなのか?
—ユーリイ・トゥイニャーノフという言語学者で、フォルマリストの時代にロシアで、構造主義など新しい形式の分析を行い理論化した。
ザハは描きながら自分が見ることによって、新しい形態を生成させようとしている。その形態によって、今まで見たことがない状況・風景・意味が現れてくるのを待っている。
スタディ・エスキスによって、描きながら自己を変容させていく/新しいものを生み出しいていく。それが具体的にどのような方法/方法的形式でつくられているのか、ということをいくつかに分類できるのではないかということが逗子さんの見立てであり、やろうとしていること。
ザハのドローイングをイコンに関する理論で読むということは、「ザハの絵画=イコン」ということなのか?
ーイコンだとは言いたくない。ファーストスケッチが最終的なものにどんどん介入していくのではないかという期待をもっている。
韻律は形態であり、詩や文学から形態的側面だけを取り出すという視点が発見されると、その形態にどんな行為を導入しても構わない。入れ替え可能である。
そうだとすると、ザハのドローイングの黒は等価性を表すのではなく、「無い」ということを表すのではないか。むしろ要素と要素の関係性みたいなものがフォルムとして存在していて、それが等価性を保証している。
担当:B4 上原 佳広