B班ゼミ発表 10.03
D2滝口です。
M2、2名によるゼミ発表です。
M2 寺内 「近代建築運動におけるドイツの工作概念」
発表
近代ドイツで近代建築理念が確立されるにあたりwerkという言葉が注目される。“werk”はどのような過程で確立され、ドイツの近代建築運動の中でどのような意味を持っていたのか。19世紀末〜20世紀初頭のドイツ建築思潮の中で、werkをめぐる建築概念の動向を探る。
質疑
・werkはいつ生まれた言葉なのか、それまでに使われていた言葉なのか。
それまで使われていた言葉に新たな用法を与えた。
・機械生産の導入により、職人はどうなったのか、芸術家と機械技術者の区別は明瞭だったのか。
職能の分化は不明。
芸術家が工場に入り製作を行うことは通常ない。機械をいじる職人芸は存在。
・芸術方面での思想変化は
フランス(アカデミー)に対するドイツの複雑な感情
19世紀初頭のナポレオン追放が「ドイツ」意識を確立
artを受容する意識/artに対抗し排斥する意識
・論文のどのあたりが核になるのか、1次資料を用いる箇所は。
現段階では不明。先行研究から要点を掴んでいく段階。
・新しいもの(工業生産)に古い言葉(werk)をあてたのはなぜか
コメント
werk概念(手で何かを作ること)を拡張 → art(芸術) + industry(工業)
ゼンパーは原始的なモノづくりについて考察→ 地表にあるものに手を加える。工業は含まれない
近代建築の基本理念としての「空間」概念の確立→モノづくりとしての建築の面が捨象される。
designはartと異なり20世紀的概念。手仕事ではなく、大量生産を前提とする。
M2 河野「横浜市における旧軍用地・接収地が年に与えた影響に関する研究」
発表
戦後の横浜を考える上で、米軍による広大な市域の接収と、その漸次的な解除は大きな出来事だった。接収地の分布、解除された時期、解除された後の場所の用途など、接収地とその解除をめぐる様々な状況を考察していく。
質疑
・全国と比べて横浜の接収地の特徴は。
軍用地、公園地の接収の規模が沖縄に次いで大きく、軍用地を使用せずに戦後復興がなされて来た。接収による公園地の不足とその欠乏を補うために、接収解除後、跡地を公園に転用。
接収されなかった旧軍用地もある(非接収軍用地)→この地域も研究対象
・タイトル「接収地が都市に与えた影響」をどのように調べていくか。
現状では不明。今後の課題。
・接収地の全貌は把握されていないのか、リストはないのか
接収地に関してはある。旧日本軍施設については不明。
・接収問題を考察した都市史研究は、before,afterを示した研究は。
とても大雑把なものならあるが、ほぼない。
・接収地は何を基準に解除されるのか
住宅地の老朽化、鉄道網の発達、通信施設の発達などによる、米軍の土地利用価値の低下
・接収地解除の主体は、意思決定はどのようにされるか
日本政府と米軍の交渉。政治的プロセスが存在。
・接収地はなぜ公園になるのか
横浜市内における諸々の機能はほぼそろっており、新たな機能を必要としないためか。とりあえず公園として計画するのは全国的な傾向。
コメント
公園地の計画は都市計画上重要な問題。基準の設定、人口に対する公園地の面積など。
横浜における「接収」は通常の都市にない、どのような作用を与えたのか。
「接収」があるエリアに与えた影響に関する実証的研究が必要。民有地の中に官有地が増加し、モザイク状態を形成する。