D班サブゼミ1回目発表報告

B4原竹、三須です。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。

6/20(水)サブゼミD班発表一回目の発表内容についてです。

 

 

課題図書:エデュアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロインディオの気まぐれな魂」(近藤宏、里見龍樹訳 水声社 2015)

発表者:和田、保川、原竹、三須

前半となる第一回目は、「一六世紀ブラジルにおける不信仰の問題」、「宗教体系としての文化」、「地獄と栄光について」、「楽園にある区分」、「信仰の困難について」を四人で発表しました。

 

「一六世紀ブラジルにおける不信仰の問題」発表者:和田

 

この章では、一六世紀におけるブラジル先住民であるインディオと、それ以外の民族の異教への変化、対応の仕方について、当時のイエズス会士、アントニオ・ヴィエイラの言葉を借りて、インディオたちを、「ギンバイカの像」、その他の民族を「大理石の像」と表現している。

 

「ギンバイカの像」…たやすく枝が曲がるために成形が容易である。しかし人の手を加え続けなくては、新たに得たその形を失い、以前のままの姿に戻ってしまう。

「大理石の像」…素材の硬度と抵抗ゆえに制作が極めて難しい。しかしひとたび像が作られれば、手を加える必要がない。

 

このような点から、宣教師たちにとって、インディオたちのその「気まぐれさ」は不可解に映った。

この章では著者カストロが、イエズス会士たちが「気まぐれさ」と呼んだものを解明し、またそれが現実の何かと対応しているということを示唆し、また、それに対して関心をもっているという事が述べられている。

 

 

「宗教体系としての文化」発表者:原竹

 

人類学者は文化を、個々人が宗教的というべき仕方で頑なに支持する「信念の体系」として思い描く。つまり、「文化体系としての宗教」は、宗教体系としての文化という観念を前提にしている。

本章から、トゥピナンバというブラジル先住民の例について具体的な事例等から述べられている。

ブラジル先住民のトゥピナンバ族には、本来の意味での宗教は持っておらず、迷信だけがあった。悪習とも呼ぶべきその迷信(食人や復讐)は、それこそが宗教とも呼ぶべきもののイデアあり、それは正当にも宗教的とみなされる信念の体系に忠実であったと述べられている。

これより、トゥピナンバは宗教を持っていたといえる。

しかし、この気まぐれさを宗教とするならば、なぜその宗教は自己の文化や宗教に対して気まぐれであったのか。が問われるべきである。

その前提には、アメリカ先住民の思考の特徴である「他者への開かれ」があったと述べられている。

 

「地獄と栄光について」発表者:原竹

 

本章では、テヴェという宣教師の逸話を例に挙げ、トゥピナンバたちの死生観や悪習について述べられている。

 

トゥピナンバの死生観:トゥピナンバの終末論より考えると、勇敢なものには楽園が、臆病なものにはみじめな地上での存在が運命づけられるとされている。

トゥピナンバの悪習:トゥピナンバの悪習において重要なのは、戦争における復讐であり、その後に起こりうる食人は彼らの慣習上、重要度は低いとわかる。

 

また、トゥピナンバたちは、神との仲介をしてくれる宣教師たちを恐れ敬い、長寿をもたらしてくれるものだと思うようになった。しかし、洗礼の水が水質的に汚染されていたがゆえに引き起こされた病気などにより、宣教師たちは次第に死をもたらすものだとされる。それゆえ、宣教師や司祭による終末論的な教えは凶兆だとみなされるようになり、インディオたちはそれを聞こうとせず、話さないように求めた。

 

「楽園にある区分」発表者:保川

 

本章ではトゥピナンバとヨーロッパ人との関係が、他者性というキーワードを元に述べられている。

 

トゥピナンバの宗教では、人間と文化英雄や造化の神は、起源は同じであり、超越的な存在ではなく、克服できるものであると考えられている。ヨーロッパ人も同じように、崇拝の対象としてではなく、他者性という記号として見られていた。

 

インディオは、他者との関係を現勢化することで、自身の同一性を変容させることを求めている。それは、実体的な同一性ではなく、関係的な交換(親和性=姻戚関係)が価値とせれている。そのために、娘や妹を結婚相手としてヨーロッパ人に差し出したり、捕虜を処刑する前に女をあてがったりなどする。

 

「信仰の困難について」発表者:三須

 

本章では、なぜトゥピナンバは信仰を持たなかったのか、また、トゥピナンバの社会がどのようなものなのかを宗教的な側面から読み解いている。

 

トゥピナンバは司祭を、カライバと同様な存在として認識していた。カライバは、預言者であり、ある程度の信用はあったもののトゥピナンバにとっては信仰の対象ではなかった。キリスト教の司祭も同じような認識をされていたため、キリスト教を信仰するのではなく、すぐにもとの悪習に戻ってしまうのであった。

 

ここで、なぜトゥピナンバが信仰を持たなかったのかということに触れられている。それはトゥピナンバの社会には法も、王も存在しなかったからだと言われている。王という超越的な権力に対する畏れや服従といったものが存在しないため、宗教における神という超越的な存在を信仰することがないのである。また、トゥピナンバにとっては神は超越的な存在ではなく、克服するべき対象としてみなしていたため、信仰が困難になっていた。

 

このような信仰の困難さなどの「気まぐれさ」は、ヨーロッパ人にとっては卑しい私欲として映っていた。それは、インディオがヨーロッパ人の技術や道具のみを欲しがっているように感じたからである。しかしそれらの行動は、他者という外部性のものを記号として社会に取り込むためであった。トゥピナンバの社会は、他社へと開くことによって外部の事柄を自分たちの社会へと取り込んでいくような、常に消費社会なのである。

 

以上が前半の発表でした。