ゼミA班 7/19

M2寺内です
本日春学期最後のゼミです。A班5名の発表です。
 

 

今ちゃん「都市膨張過程のグリッドに関する研究 −旧東京府郡部から見る農地から宅地への転換−」
修論フレーム、研究目的、進捗状況の報告とグリッドを抽出した都市(大泉学園、等々力、千住緑町、西落合)について。
各都市の特性がありつつ、その整備事業や主体の違いにより、グリッドの扱い方が異なる。同様にサイズ、形も異なるため、一度最小限な形でグリッドを定義したのち、それを発展させた定義を見出す。
【質疑】
・インドのグリッドは均質性と共に中心性という両義性がある。学園都市など求心性に関わる開発がされているとしたら、グリッドにおいても幅が広がるのではないのか。
→求心性は真ん中に広場などがなければないのではないのか
→いやそれはある種の決めつけに過ぎない
・この研究を進めるとどんなことが言えそうか
→グリッドの形を決めているものの中で、街区の大きさというものが、街区内部にどんな影響をもたらしているのかが掴めるのではないのか
【コメント】
作業したからこそ見える仮説があり、それを書き換えていくイメージをもたなければいけない。それが都市のメカニズムをぎゅっと掴めるような仮説になっているべきなのではないのか。仮にそうでないとしたら、どういう仮説(グリッドを見ることによる都市膨張の視点)があるのか。
 
 
竜「都市・建築空間における“ふるまい”の研究」
今まで勉強してきた創発が実際の建築や都市空間においてどのように関連づけられるのか、についてアトリエ・ワン『コモナリティーズ −ふるまいの生産』に取り上げられている①イビラプエラ公園のキャノピー、②六本木公園、③ライン川の水泳。と北山恒『都市のエージェントはだれなのか』の中にある④解放区について創発が起きていそうなことを発表
【質疑】
・イビラプエラのキャノピーは創発ではないのではないのか
→人が集まるキャノピーだからこそ美術館が建てられていることが起きている
創発は意図して作れるのか、またそれで作った創発創発と呼べるのか
→細部までルールが決められているのであれば、創発は起きえないが、大まかなルールだけであれば創発は起こしうるものではありそう(まりえさん)−フレームの当て方の問題に過ぎない。意図はクローズアップすれば明瞭になるけど、引いた目で見れば無くなりもする
【コメント】
人が動いたから建築が生まれるということを考えることは自由であるが、ただの鶏卵問題でしかない。大きな意味での創発のプロセスを生み出しうる建築を作りたいというごぐ普通な言い方をすれば良い。到達すべきところは、AかBかではなく、その関係性を作った構造を明確に捉えるべき
 
 
さきちゃん「米軍による横浜の接収」
研究のフレームワークの整理とGHQによる神奈川県下の基地の位置づけ&神奈川県下の戦後〜朝鮮戦争前後の基地変遷について
【質疑】
・神奈川の接収を解除していく上では、アメリカの都合がかなり強い。その中で横浜の位置づけが重要になってくる。そうなると横浜がアメリカにとってどう見ていたのか、という視点が重要なのでは
→横浜は行政の中心地、物資の供給場(横浜港)であったため、アメリカも拠点として使用していた
・横浜、沖縄以外に基地が多かったところはどこがあるのか
→神戸、函館、館山、青森、
→そうなると首都性の問題が生まれてくる、避けられない。とするとなぜ東京でなかったのか(背景認識として重要)−東京港ではなり得ない条件などがあったのか。また関節統治だったからか。
【コメント】
研究目的について考えていくことは挙げられているが、問いかけが見えてこない(ないしはない)。接収されたことにより、周りの都市はがんがん書き換わっていく中で、接収地はそのままであった。それが接収解除になった時にいきなり何十年のタイムラグが生まれた土地をどう使うか、は都市のあり方として異色であり、面白いポイント。そこで挙げられていくのは、①接収解除がどう行われたか②その量的、位置的、時期的問題がある。そこから作業を通して、研究フレームを書き換えていくことを意識していくべき。
問いと対象が関連づけられた章が立ち上がり、夏中に1つ書けるとだいぶ楽になるよ
 
 
馬くん「スラムの先行研究」
前回まではスラムと城中村は異なるものとして扱っていたが、建築学的に見れば城中村もスラブの一部であるという指摘から、建築学という視点から城中村の事例研究を行いたい。がしかし、研究対象にしようと思っていた嘉節村が、開発によりなくなっているため、研究対象をどうすればいいのかについてアドバイスがほしい。
【質疑】
・戸籍をもらえる基準は
→かなり共産党のトップと繋がっている地方から恣意的に選ばれたりする
・残っている城中村はないのか
→まだあるはず
【コメント】
四合院形式の農村集落がなぜ1つのエリアに集約されているのか、という疑問やこの村ができた歴史も興味深い。さらにそれが都市開発に飲み込まれ、人が流入してくる時に建てられる、そのミックスとソサエティ。そして2018年のクリアランスはなぜ起こるのか。その人たちがどうやって飯食ってるのか。などじっくりしたインタビューを繰り返して掴む。
 
 
けーすけ「CIAMとチームXの運動体史」
1920年代後半から1960年代にかけて、ノーテーションの情報の階層性が複雑化していく過程の背後には、ムーブメントと結びつけて解釈していくことが必要なのではないのか。そこでその時代に起こった運動体として、CIAMとチームXに焦点を当て、その時代のムーブメントを理解、検討していく。
【質疑】
CIAMとチームXの対立はどんな構造か
CIAMは都市を開発する際にどういう視点が必要かをメインで論じていた。チームXはCIAMでは解決不可能な問題に直面しているため、より人間的であることを目指した。そこで、4つの機能(CIAM)に対して、4つのアソシエーション(チームX)を提示。
CIAMモダニズムが集まった運動体であり、チームXはメタボリズムのような運動として見えるが、ポストモダンは70年代から始まっているため、その先駆けなのか
→そう捉えられるかも...?
→いや、チームXはポストモダンというより、モダニストの最後の修正版、論理と倫理を突き詰めた人たち
【コメント】
情報の階層性によって複雑化していくという話ではなく、それぞれの構造化のさせ方が異なるためCIAMの思考のノーテーションとチームXの思考のノーテーションが明確に異なる表現が出てくるのではないか。むしろCIAMは構造化させてすらいないで、ゾーニング止まりになっているのでは。その背景には、国それぞれのリアリティを感じる都市のあり方が存在していたため。
 
 
 
最後のゼミが終わってしまいましたが、
B4のみなさんは夏明け提出の小論文に向けて、M1の2人はプロジェクトと授業に挟まれながら常に頭に残しておいて、我らM2は一度自分を追い込むつもりで、夏休みだけど自分の興味から発展させたゼミなので、それを楽しんでほしいと思います。
 
 
ちなみに、その最終日にM2の5人と先生の6人で飲みに行きました。
色々おもしろかったし、腹割って話せたような気がしました。また行きたいですね。