2017/12/13 M2ゼミ
M2青井研最後のゼミ、3名です
彩さん「東京港内港地区の埠頭形成史−品川埠頭の汀線に着目して−」
論文構成の中からその対象である2、3、4章の内容を発表
2章=埠頭計画の基礎として港湾機能の性状を中心に、土木的観点からの記述を試みる
3章=品川埠頭の形成過程を明らかにする
4章=埠頭の陸域施設に着目することで、陸・海の両者の立場から埠頭空間を復元し品川埠頭の水際を明らかにする
これらは機能と空間の変遷整理を地図上で復元していく
-泊地とはどういう意味?用語的に
航路に対して船が一時的に泊まることができる場所
-バースは?
岸壁に対して船を泊める場所のこと(設備などが整備されていることが前提)
-泊地が広くなると接岸バースが狭くなるとは
突堤式埠頭と比較して平行式埠頭が作られた時の説明、つまり突堤式ではバースが多くなる分、海を削っているので泊地が少なくなる。平行式ではそれに対しての話
-後背地と背後地の意味の差異は?
→空間を決めていく要素が連関していくのかをつかめた方がいい
-上屋と倉庫の違いは?
上屋:一時的な保管、荷捌きを行える
倉庫:必ずしも長期的な保管ではないが、長短期の保管。民間が私有財産として運営している
→決定的な違いとそれに対して属性があるように説明しなければいけない
そうなると時間が決定的に違う
→倉庫も長い目で見ると一時的な保管に感じるので、ちょっと曖昧。もっと明確な違い(定義)があると思う
物流・流通の仕組み=ものが流れる仕組みがある、しかし空間を作る上での制限もある
物流システムのソフト面とそれの空間要素の関係=構造的な変化の歴史
-1~3章の対象は?
1、2:品川埠頭だけでなく歴史の整理として全体を通した内容
荷物がどういう人たちによって、どういう理屈でできているのか、それと空間がどう対応しているのか
限定されながら実現されていく時にどう空間編成しているのか
物流ならば流れていく中に位置付けられているが、大きな流れの中の仕組みが空間化されていることをもっと整理することで、物流と空間の関係がわかるのでは
きいこさん「民間信仰組織の都市空間史−近世以降浅草における〈地域稲荷〉の変容–」
第5章 共同体の組織化・解体・再編
概要 大正~昭和初期
地域の共同体が公的に組織され始める時期であり、組織化された集団が関東大震災後物理的には一度離散するが、その体制はより強固なものになる傾向にある。
空間・町域規定が、組織のあり方・祭祀のあり方にどう作用していたか
資料的な制限を感じる章ではあるが、町会組織と区画整理については有力者と組織を地図上に落としながら整理
-換地計画図とは
主体として東京市と国がある
帝都復興事業を行う時に道路幅員確保のために私有地を換地する計画を図化したもの
換地とは面的に土地の位置が変わるので、交換されるときのもの
-私有地に稲荷の建ち方は?
居住していた場所が記載されている図面があって、稲荷がその間に記載があったり、アプローチが書かれていたりする
-換地後は把握できるのか
住宅地図的なものでなら図面が残されている(田中さんの参考資料から参照)
→火保図は
ないものもある
成果が見つからなくてもいいのかという不安
→稲荷として特定の法則性がなくても、ないということがわかる
→建物移転設計図は見つかるのか、探しにくいとの噂があるが、、、
-町会内の有力者が住んでいる位置の重要性は?
稲荷の所有者から検索すると実業家とか出でくるため、町内の運営に尽力していたことがわかる
-町内の中に土地を持ってお屋敷を構えている人が少数で、その中にお稲荷さんが建てられている。そのため有力者を追っていくことが重要なのかな
あっても震災前、明治末期ぐらいだと細分化されてそうとも言えないケースが多い
→小林英さんは明治以降小さくてもいいから土地を集めて借家経営することが多いので、その一例では
ちなみにその人が持ってる土地は、稲荷の周辺に多い
道路になったところは接収ではなく、換地
つまり合意の元行われている計画なので注意
あっしーさん「自治会報誌『砧』にみる住宅地成城の戦後史−道路・土地細分化・緑化−」
第2章 自治会報誌『砧』
自治会報誌『砧』は成城自治会が月一回発行する広報誌
発行は1952年から現在(現778号)も発行を続けていて、自治会の理事会の報告から成城の街の問題を取り上げた記事が多い
これから街、都市について扱っている記事を抜粋しデータベース化する
155号(1965年)以降からは成城大学が保存されている
-それ以前はどうするのか
自治会が保有しているので問い合わせる予定
-『砧』を見るとどういうことが得られるのか
インタビュー的にまとめているわけではないが、自治会として成城の住民が、成城の街をどうするかが見れる
また、毎月発行なので、より微細な変化が追えるのでは
-住民の意見が空間として立ち上がるのはよくあるのか
そういうところももちろんあるが、成城内での諸問題に対して解決策を示している部分が『砧』には見られるのでは
→こういう街にしたいという絵が書いているものではなさそうだが、
戦後巨大な圧力がかかる時にどんなときに地域の現場では扱われ議論されてきたのかというリアルなことがわかるところがポイント
意識の変化を鋭敏に読み取っていくことがめっちゃ重要
「草分会」では最初の住民として自覚を持ってやっていたが、戦後の住宅供給から全てに対応できなくなったところがどう扱われているのか
-自治会と町内会は一緒か
自治会は町内会連合会のイメージの方が合っているのでは
→成城の場合自治会がどういう扱いだったか(任意か半強制状態か)の確認・実態把握が必要
(基本的には任意だったと思うが、実態としてどうだったの確認が重要で、そこから成城に対しての考えを咀嚼することが必要)
→先行研究として都市計画の高見沢先生の内容は把握しといた方がいい
→全記事データーベースをまずは作っていくべき