サブゼミA班 第3回目

サブゼミA班第1、2回目はミシェル・フーコー『これはパイプではない』(哲学書房、1986 豊崎光一+清水正 訳 )を扱った。

 

 

 続く第3回では、本書のキーワードとなった「類似」と「相似」の論理が、建築にはどのように適用されるか着目する。

建築全般は物と物の関係にあるので、互いに相似関係にあり、郊外住宅地の住宅が例に挙げられる。しかし、アーキテクチャは建築家を通してその思想概念が母型として造形に落とし込まれるため、周囲の建築物と差異が生まれ、後世の人々によりその造形に名称が付けられ、様式として認識がされているといえる。一方で、建築は古典絵画と異なり、実空間に落とし込む際に加わる外的要因(地形条件、構造、材料等)が多いため、建築家の思想・概念と実作の結び付きが確認しづらいと考えられる。

よって、古代、中世、近代の建築造形の到達点とされる各様式または造形、ギリシア、ゴシック、近代建築を取り上げ、各造形を形成する上での母型になった概念・思想を考察することにした。

 

 

ギリシア建築〉

古代ギリシアでは森田慶一『近西洋建築思潮史』(中央図書、1974)を参考に建築のギリシア建築の母型を考察する。

 

ギリシア人は「建築」を単なる職人あるいは手技の工人の術ではなく、原理的知識を持ち、職人たちの頭に立ち、諸技術を統べ、制作を企画し指導しうる工匠の技術と理解し、そのようなものと規定していた。つまり建築=「原理(アルケー)を知る工匠の術」ということになる。

「秩序」(taxis)は物事を混沌(chaos)から事物を分かち定立する原理であるが、これを数的・量的理解するとシュムメトリア(symmetria)という原理が生まれた。これは形あるものの制作(造形)においてとても核心的な原理で、具体的な建築への適用法は、すべての構図(立面、平面…)の全体および部分の長さが互いに整数比の関係に置かれることであった。ギリシア人はこのようなシュムメトリアによって秩序付けられた状態に「美」ではなく「調和(harmonia)」を感じ取った。

 

次にプラトンによる「制作」(poiesis)の考え方を整理する。

神はidea(万有、あらゆる存在の本源)から神の制作術によって自然や人間を創造する。

一方人間の場合の制作は二種類あり、

① 第一模写 ⇒ ideaを模写し実像をつくる術(eikastike)…音楽・建築・器具

② 第二模写 ⇒ ideaを模写した形象(eidolon)をさらに心象(phantasma)の助けをかりて模写した仮像をつくる術(phantastike)…絵画・彫刻

ここで第一模写の方が模写の段階が少ないため第二模写より優位性が高いと考えられた。つまり絵画より建築の方が本源に近いということになる。

 

ギリシア人はシュムメトリアの原理を通じて建築を理解し、シュムメトリアの原理に則って建築を制作した。第一模写である建築はこの原理を保有することによって造物神の作品と係わりあうことが出来ると考えた。つまり古代ギリシアではidea(あらゆる存在の本源=世界全て)が建築の母型と考えられたのではないだろうか。

 

 

ゴシック様式

中世では、『近西洋建築思潮史』を参考に ゴシック様式の母型を考察する。

 

ゴシック様式キリスト教大聖堂に用いられた様式である。ゴシック様式の造形思想とは、信仰を表す神秘性と理性を表す合理性の相反する表現を調和させることに努力が注がれ、アウグスティヌスの思想を基盤にスコラ学によって解決された。

 

キリスト教思想において、被造物=美であることが神の創造を補い神の意にかなうものとして合理性を象徴する漠然たる比例と神秘性を象徴する光が設計手段が用いられた。尖頭アーチによるリブヴォールドの利用で垂直性を強調、また、ステンドグラスを通した光で堂内を満たすことで、外部と内部を断絶し、現実と切り離された空間をつくりだした。これはキリスト教徒の「神の家」、天国の表象であった天上のエルサレムを母型に内部空間に特化した様式だったと考えられる。

 

 

〈近代建築〉

近代の建築思想ではロバート・ベンチューリ他『ラスベガス』(石井和紘、伊藤公文訳、鹿島出版会、1978/Robert Venturi , LEARNING FROM LAS VEGAS : The Forgotten Symbolism of Architectural Form,1972)参考に近代建築の母型を考察する。

 

ベンチューリは装飾された小屋(ギルド・ハウス)とあひる(クロフォード・メナー)を例にとり、近代建築は図像学を含む伝統(様式)を拒否し、折衷主義を放棄したとき、同時に象徴主義をも排除することとなったと考えた。近代建築は明白な象徴を用いることや装飾を拒否しながら、実は建物全体を歪め、一つの大きな装飾と化してしまった⇒あひる(つまり構造「主義」、機能「主義」建築である。)では、近代建築の母型は一体何なのだろうか?ここでは近代の建築家の一人であるコルビュジェを具体的にみていくことにする。彼は数的秩序に基づいた建築が美しいと感じており、コルビュジェの作品に穀物エレベーターを模したものが多く見受けられる。彼が美しいと感じ取ったものは工学技師たちが作り出した、単純な形態の幾何学的秩序に基づいた建築・機械=工業化によって生み出された美である。つまりコルビュジェは様式を否定したい意思が母型としてありそれを実現するための手段として幾何学的秩序を用いていたのではないだろうか?と班内で考察していた。

 

しかしながら議論を進めるうちに、結局近代の建築家たちが建築の母型としていたものは様式に対する否定や近代化によって生み出されたある特定の機械や工場ではなく、今までにない近代化によるすさまじい変化(例えば製品生産のダイナミックさや自動車のスピード感…)を彼らが目の当たりにし構築していった近代のイメージ(世界観)そのものだったのではないだろうかという結論に至った。