サブゼミC班 第3回目

サブゼミC班第1、2回目はティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』(左右社、2014)を扱ってきました。

 

 

続く第3回目では、はじめに本書を扱う上でキーワードとなる糸(表面を形成するが、表面の上に描かれることのないline)と軌跡(連続的運動によって表面の中や上に残される、あらゆる恒久的な痕跡)の考え方の整理や、近代、近世以前の様々なものごとが絡み合い、分節することができない複雑な世界(中世ヨーロッパの「発話」と「歌」がそうであったように)について復習しました。前者の概念の整理はスムーズに共有できたのですが、後者の中世的世界の理解については、今では体験できない世界故に研究室メンバーそれぞれが飲み込むのに時間がかかりました。しかし、インゴルドが著書で訴えたかったことの根幹は、この網目状(meshwork)の世界(個々人が主体性を持ち、自由に生きる社会。他者もまた主体性を持ち生きていて、”出会い”がおきるような社会か)から学びを得て生きる指針のようなものを読者に示すことにあるとすればとても貴重な時間でした。

 

さて、『LINES』をうけていかに建築に繋げるかですが、我々は建築家と構築物の関係におけるgestureの連続に着目しました。例えば、かつての大工は自分で簡易的な設計図(板図)を引いていたし、建設作業も自らの手で行なっていました。つまり、構想からスケッチ、建設に至るまで一連のgestureがみられます。一方、近現代の建築家は、自らの構想をフリーハンドスケッチや手書き図面化するまではgestureの連続はあるが、設計仕様書にし、建築家の手元を離れた時点で建設作業は他者に委ねられ、他者のgestureにより構築物が完成するといえます。ではこうしたジレンマを建築家はどう捉えているのか、はたまたgestureの断絶を乗り越え、自らの意図を建築物に投影しようとしている建築家はいるのか、といった問をたて各建築家の思想や建築作品に着目しました。

 

列挙しますと、建築がモノとしてたちあがるに至るまでのgestureの断絶を意識的に考え、「モノの組み立て」に建築の本質を見出すピーターズントー。個人が自由に主体的に行動することによって出現するような「場」の形成を目指した青木淳やバーナード・チュミ(ラヴィレット公園に着目)。また、青木淳やチュミとは異なり明確な構築論理、思想を表明しないが、同様の空間の質を獲得している(ように感じられる)フランク・ゲーリーを紹介しました。

 

いずれの建築家の作品も空間の質は全く異なるが、インゴルドの示した一人一人が主体的に行動し、自由に生きる社会、そうした場をを考えるキッカケになったと思います。みなさんも気になりましたらぜひ読んで見てください!

 

M2 富山