2017/6/22 ゼミ発表A班
2ヶ月ぶりぐらいに書かせていただいています、B4の片山です。少し遅くなってしまいましたが先週のA班のゼミ発表について書かせていただきます。
寺内さん
「1960年代-70年代の建築の工業化に伴う建築家の思想に関する研究」
- 時代を絞り、建築の工業化をどう受け止めどう展開したかを考察することで建築の職能を見ていくことができないかと考えた。
- 池辺陽と神代雄一郎に焦点をおいて考える。池辺陽は量の問題、標準化の問題を第一義的にしておらず、個を充実しながら全体へ至る方向生に可能性を見ていたことに、神代雄一郎は工業化・機械化のなかから手仕事の名残を確認し、そこに地方性・民衆性があると考え、近代化されたものの中に溶け込んだ手仕事のあり方に日本的表現の可能性をみていることに手がかりが見出せるのではないかと考えた。
〈質疑〉
-時代を追って建築家の職能を追っていくか、池辺陽や神代雄一郎のようなはみ出た特殊な人を見ていくのか?
一般的に表に集約されるが集約されてない人を見ていけばいいにではないかと考えた。
-工業化は標準化、規格化をもたらす。部品が規格化されてモデュラーコーディネーションを考えるのが普通の流れ。構法計画とか。建築家がアーティストとして振る舞うことを批判したのが五期会。神代さんは建築家がお金儲けに乗っかっていく態度が嫌だった。みんながみんな無意識に同じ方向向いて向かっていく精神構造が嫌いで手仕事とかに向かっていった。
-規格化されたのをアート的に批判するの?どんな角度で批判するの?この時代の建築家に対してどう思ってる?
建築家がものを作る時の態度に興味がある。
部品生産されてモデュラーコーディネートされていくなかで建築家として意識的になって作っていったかを突き詰めたい。
-工業化路線をど真ん中で受け止めて成長させたのは誰?
ハウスメーカー、部品点数が少なければ少ないほど良い。しかし結果今ではむちゃくちゃある。初心からどんどん離れていった。
ゼネコン、設計と施工を同じ会社で引き受けることで技術をフィードバックできる
組織設計、デジタルファブリケーションの発達によって山梨さんは組織設計の方がアーティストできると考えた
アトリエは流通剤を使わないと金が合わない。結局最も工業化に縛られている。
手仕事自分で自ら作っていくことに対して流通剤でも自分たちが作り上げていくことに持って行きたい
-セルフビルドアーキテクトでは?セルフビルドにこだわり続けた人もいるのでは?
杉本さん
「寝間と家の神/寝室の誕生/法による宿泊施設/随筆、紀行、旅行記」
- 寝間の呼び名の地方による変化や別居隠居の五つの型(子全員結婚してから年寄りのみ隠居が最多)、寝間の数は基本一つだが東北地方だと複数ある場合がある。
- 寝室の誕生は明治時代、西洋のbedroomに対応する語として生まれたが『和洋住宅間取実例図集』1907(M40)になってもあまり現れず、40年経っても日本にあまり馴染んでいなかった。
〈質疑〉
-一つの寝間が複数ある家はどんな感じ?
他の空間がある。塗籠の時代とは違う。
納戸を出るのは夫婦だけで子供が自立できるまでは夫婦と寝る、そのあとは居間や台所で寝る。
-福島の鈴木さん家の前の家は茅葺の大きな家。六間+土間、移ってきたひいじいちゃんは奥の部屋を最初に作ってどんどん右に増えてった。一番奥の部屋が隠居部屋。たまたまかもしれないが最初に建てたところが隠居部屋になった。
-寝室はいつ頃定着?
大正、昭和初期ではないかと、明治ではない気がする
-大正から昭和初期では寝室と居間が並行して使われた?
わからないけど面白そう
-ターゲットは?モビリティか寝間居間の話?家と宿の間に興味がある?でも違い見える?間はみえる?
具体的な空間としての間は見えてきていない。
-宿の問題ももちろんあると思うが抽象的すぎる。
民家の間取りと呼称との位置付けがあった時に来客はどこに泊まる?移動する人々を視点に入れると面白いかも。
様々な宿を研究の対象にすることは宿を視点とした建築史の研究は面白い。
古谷さん
「田園都市計画運動と住宅」
- ハワードの田園都市、ガルニデの工業都市、コルビュジェの輝く都市の各計画のまとめ
- 論説「欧米諸都市の「アパートメント」に就て」でパリー市、ベルリン市、ウィーン市の各都市の平面計画、や空地利用についてのまとめ
〈質疑〉
-当時のコルビジェとかみていて街区型といっても中に規模感があらたいに設計したものともともと立ったものではぜんぜん違う。
空地はいままでのものは小さな設備を設けられるものではなくて、痛風よくするためだけにあったのではないか
-並行配置ではなく中庭動線計画として街区型の方が良かった
道路の法律上の問題として並行配置ではなく街路型が使われてきた例なのではないか。後から空間ができてしまっただけなのではないか。
-住宅にはタワーは普及しなくて並行配置が普及した結果タワマンが出てきた
-関心は持てている?
支点の置き方が完全に定まっていない。
-コミュニティに関心がある?
中庭型がなぜ日本に普及しないのかの理由を調べたい。
池田さん
「多摩川流域における流域都市の形成過程復元」
〈質疑〉
-右下の図は?(多摩川砂利の経路別輸送量(1925))
25年の資料なので文献が違うが関東大震災以降で量は絶対増えてるはず
-同じ地点でも量が違うが需要の問題か供給の問題か?
小作は浄水場を作るために作られた採掘場でその時に増えている。
個々のは市史を見ていく。次はどの駅にどれだけ発送されているのかを見ていく。
-研究の枠組みは?
まだ見えてきてはないが発送量の多い駅をメインに見ていくか乗り入れの多い線も見ていく必要があるのか
-圧倒的に土木が多いから住宅換算は全てではないと思う。
生沼
「建築材料における劣化現象から建築を計画する」
・鉄筋コンクリートの劣化症状と劣化現象のまとめ。劣化現象は鉄筋コンクリートの劣化症状までの過程のサイクルを生み出す。劣化現象は8種類あり、それが組み合わさって劣化現象を生み出す。
〈質疑〉
-劣化を考えた建築家はいる?
見つけてない
-へきれきそうでは立て直す時には既存のものが劣化について考えられていない時、交換しなくてはいけなくなったがそういうことか?
それはやめました、材料の発達が進むといくらでも劣化を防げるが劣化のサイクルに焦点を置いてやっていきたい
劣化のサイクルを違うものに取り入れてみたい。文字通りの劣化を扱うわけではない。
-建物以外の自然現象にもあるのではないか?
無数にあるから違う。コンクリートぼ劣化は決まった要因があるため自分の中でおもしろいとおもった。
地域によったり気候によったりでも違うから劣化の要因が違うため。それもみていきたい。
-最初に起こる現象によって別の現象のスイッチを入れる。次々スイッチを入れていく感じが面白いのでは。
小さな働きがじわじわと働くとあるルールにおいて長い時間かけて現れると面白い。が興味の出発点
櫻井
「美学の変遷とピクチャレスクについて」
- 古代、中世、近世の美の認識の変化。
- 18世紀半ばから19世紀半ば、ヘーゲルやカントの登場によって観念学などが中心に話が進んでいく。美=趣味として呼ばれる者が多くなっていく
- 折衷主義の建築美論にて優美、崇高、ピクチャレスクが違う物だとされる。
- 美には概念無くして、必然的な満足の対象として認識されるものである。
〈質疑〉
-美、崇高、ピクチャレスクの解釈は?
美…無関心の中で見つかるもの、崇高…山の壮大さ、ピクチャレスク…写真を撮る、一部を切り取る。
-崇高は重要なキーワードですか?
美で表されないものが崇高だから必要なものではないか
-ピクチャレスクと崇高の関連は?
美から関連して生まれた、崇高はその場にいることが重要なのではないか。
フランスを中心として美が制度化されていて、クラシックや市民革命とかによって自分の主体を立ち上げないといけなくなるからその時に古代以外のものを美と感じるのではないか
-美の文化が始まってカテゴリーが揺らいできたのではないか。
-美に概念はないと美の共通生はなんか結びつかない
一言で表されないのが美、共通性は絶対あると思うからそれを探したい。
-美を感じるには視覚が主、生態学、人がどう認知してどう感じるのかも一つの指標になるのでは