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Sub-SemC 小熊英二『<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社,2002.10) No.1

サブゼミC班(メンバー:弓削多・大谷・西・大山・寺内)は、小熊英二『<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社 2002.10)を読みました。

−この本の主題−

「戦後」におけるナショナリズムや「公」に関する言説を検証し、その変遷過程を明らかにすること。

 以下の序章でも紹介しますが、この本は3部構成になっていて、各部において注目するべき視点と対象とする年代が変わるので、本ブログでも3回に分けて、この本の概要と考察をしていきたいと思います。

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さっそく序章ですが、ここではこの本の読み方と目的が挙げられています。

「 現代では「戦後、日本は豊かになった」と語られるが、その「戦後」とは、いつの時代を指すものなのだろうか? 」(p.11)

 戦後の被害で大幅に低下した日本の一人当たりの国民総生産が、戦前水準を回復したのは、敗戦後10年を経た1955年であり、この辺りを境に「戦後」の含意に変化が見られることを著者は指摘しています。

 ここで、その1955年以前の流動的な社会秩序にあり、貧困と改革の時代を「第一の戦後」、1955年以後の高度経済成長期の安定した社会秩序を確立した時代を「第二の戦後」と呼ぶとしたら、「第一の戦後」と「第二の戦後」のあいだに、日本のナショナル・アイデンティティをめぐる議論に、何らかの質的変化があったのではという仮説を立てています。

「 たとえば、「市民」という言葉、「近代」という言葉、あるいは「民族」という言葉は、「第一の戦後」と「第二の戦後」とでは、異なった意味を持っていた場合が多い。 」(p.16)

…というように、言葉それ自体が持つ社会的な影響力や意味が大きく変化していく様子を描いています。

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この本では第一部において「第一の戦後」、第二部において「第一の戦後」と「第二の戦後」への移行、第三部において「第二の戦後」について取り上げています。

 また、彼らの言説構造を変動させる「言語を絶する経験」と「表現困難な心情」を明らかにし、『社会的特性をもった人間としてのケーススタディ』として知識人のライフヒストリーを取り上げ、それがいかに大衆的な広がりを見せたかを検証しています。

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以下第一部のおおまかなまとめです。(全部話してるときりがないので、要点だけ、、、)

第一部は6章構成で、おおまかな概略は以下に示します。

第1章 モラルの焦土 -戦争と社会状況:戦争の中での「セクショナリズム」と「全体主義」、「真の愛国」への共通した心情  

第2章 総力戦と民主主義 -丸山眞男大塚久雄戦後民主主義の萌芽としての「主体性」、「国民主義

第3章 忠誠と反逆 -敗戦直後の天皇論:戦争責任の追及の中に見る「愛国心」「民族」「国民」と、新たなナショナリズムの模索

第4章 憲法愛国主義 -第九条とナショナリズム憲法九条から見る「ナショナリズム」のあり方

第5章 左翼の「民族」、保守の「個人」 -共産党保守系知識人:戦後における社会構造と世代間にあるナショナリズムと思想の相違

第6章 「民族」と「市民」 -「政治と文学」論争:共産党内部からの「主体性」論議における「個人」と、「近代」の再評価

 

 第1章で戦後思想のありように大きな影響を与えた、戦時中のモラルの問題を概説しています。おおまかにまとめると敗戦が引き起こした戦争の悔恨は主に以下の4つであった。

全体主義のもと「滅私奉公」に名を借りた私的利益の追求<貝殻人間>

・軍部におけるセクショナリズム<場当たり的でその場しのぎの作戦>

治安維持法により弾圧を恐れたマルクス主義者たちの疑心暗鬼と転向<戦争体験の悔恨>

・都市と農村、学徒兵と大衆の間にある、圧倒的な経済格差<大衆への嫌悪と憧れ> 

 

以上のような悔恨を抱きながら、いかにそれを乗り越えた日本を再建していくかということが、「第一の戦後」では非常に重要な問題でした。

その中でも戦争直後の思想には、それぞれが取った政治的な立場や戦争体験によって大きく異なります。 ゼミの中では、ここで取り上げられる社会的特性を世代と思想に分けておおまかに分類するとオールド・リベラリスト / ニュー・リベラリスト / オールド・マルキスト / ニュー・マルキストと4つに呼称できるのではと議論になりました。

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オールド・リベラリスト

 戦前に都市在住の中層以上に属し、敗戦時に五〇代以上であった彼らは、経済的にも教養的にも一般市民とは隔絶され、当時の優雅な生活に慣れきっていた世代でした。

 戦争中は政策や作戦の決定権を持ち、論壇でも戦争高揚の文章を量産していたという経験を持ちます。

 戦後は「大正」を称賛し、そこに立ち返り、知識ある上層階級によって政治を行えば、安定した身分と「文化」を享受でき、天皇制も民主主義も矛盾しないと考えていました。

ニュー・リベラリスト

 そうした中で、戦争中軍隊や工場に動員された、丸山眞男に代表される若手戦後知識人らは戦争中に大衆と接触する機会があり、戦争によって学業や仕事の中断に苛まれた。

 戦争の前線を経験した彼らは「大正」に対し「明治」を重視し、「個」の主体性を説き、主体的な責任意識を持った人間が能動的に国家の政治に参加するという「国民主義」に支えられた「近代的国民国家の形成」を日本にもたらすことで新たなナショナリズムを確立しようとしていました。

 戦争中の貝殻をかぶった「滅私奉公」や「エゴイズムの自由」を強く批判しながら、フランス革命をなしえた「国民」や明治に存在した武士道的精神に新たなナショナリズムの一つのモデルを見出しています。

オールド・マルキスト

 戦前マルクス主義者たちが「国民からの孤立感」や「弾圧の恐怖からの保身」によって次々と転向を選択する中、獄中非転向という監獄の中でも戦争反対の姿勢を貫き通すという超人的行為を貫いた徳田球一宮本顕治らは戦後、神格化され共産党の勢力は拡大していきました。

 その中では「ブルジョア市民革命」によって天皇制を打倒し、階級も関係ない平等な社会を目指す「社会主義革命」を行うといった二段階革命論が論じられ、「ほんとうの愛国主義」は、「自己民族の自由のために戦ふといふ決意」であり、「他民族の平等の権利」を尊重するとします。

ニュー・マルキスト

 共産党が社会の改革から自立的で平等な個を確立しようとしたのに対し、元共産党員であった荒正人ら『近代文学』の同人達は文学における戦争責任を追求し「文学の自律性」を説くことで、自我の確立が政治参加へとつながることを主張しました。

 日本文学に必要なものは、自然主義的人間観の徹底的な克服と、マルクス主義文学の大胆な自己批判をする事で、利己主義とは違う「個人主義」を確立しようとしました。「国民」から孤立してしまうような「難民」「亡命者」などを掲げ、またマルクス主義者たちによる「近代主義」批判にあえて対抗するような形で「市民」という言葉を使っている点など、共産党マルクス主義に対する反抗的な姿勢が見えてきます。

 

 それぞれの世代や立場を通して、それぞれの以下の表で示すような天皇観や憲法第九条の捉え方から“国家”というものと“私”の関係性への向かい方の違いを読み取ることができます。

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 ここから読み取れることは、「第一の戦後」と呼ばれる敗戦直後の日本において戦争体験や思想の違いによってそれぞれの回路で新しいナショナリズム、ナショナル・アイデンティティの模索を行っていたということ。

 貧困と改革の時代としての気運が強く、二度と繰り返したくない苦しく辛い戦争の経験とその責任を誰も取ることができないという悲惨な状況が、共産党への共感を生み、戦争の前線のリアルを知り得た新しい世代の知識人によって「個」が主体的になって公共(政治)に参加するということが生々しく自分たちの生活に結びつきえたということが第一部では語られています。

 

 その後、戦争体験から生まれた「主体性」への志向が、国際情勢と政治の変動の中で挫折に追い込まれていくことになります。そうした中で、日本の文化や意識を共有する「民族」とブルジョアとしての「市民」の対立という図式も、この後大きく変化していきます。

 

 ここからは個人的な感想ですが、、、

 自分は今までちゃんと本を読んだことがないため、最初の1部では「本を構造的に読む」ことができていませんでした。(最後の3部でもできていたかは微妙ですが。)

 そうした中で、先輩たちと一緒に議論していくうちに「本を構造的に読む」ことを意識して読んでいくことができたと思います。

 そしてこの本からは、“他者との距離感”みたいなものを学んだような気がしています。本のキーパーソンである荒正人竹内好鶴見俊輔は、繰り返し戦争責任の問題を提起していますが、それは他者を攻撃する原理としてではなく、自己の痛みと他者の痛みをつながるためであり、戦争の敗戦した日本であるからこそ、連帯の原理として取り上げていると思います。

 “自己”と“他者”つまり“私”と“公”の関わり方を再考するものであったように感じました。

 こんなにも厚い本を読んだことがなく、漢字が読めない・意味がわからない、戦後知識人の心情が理解できないなど苦労する部分はたくさんありましたが、自分なりに本と向き合い闘えたと思っています。

B4 寺内