10/29 ゼミ発表 D班1回目

陳穎禎 「竹崎の変容と産業ネットワークシステムの水道頭の形成について」
[発表]・明日からの調査の基礎整理(情報と視点)
・着目する5つの駅の一つ、竹崎は漢人集落が近代化した場所であり、衛生産業集散地ととらえられる
・竹崎で着目すべき点は軌道であったこと。地形的には中山間部に位置する、
・鉄道が1912年に開通してから竹林業、経済性の良い果物の栽培が始まった
・竹崎の先にあった水道頭が整備されてから系便鉄道が形成され竹崎までのびる市街地が形成された
[質疑]・水道頭はトロッコの軌道沿いに町屋が短冊状に立ち並ぶのはなぜか
・水道頭の人が竹崎にも物を売りにいたりしたのか
・旧市街地の鉄道による変化を見に行くということでいいのか。旧市街はめちゃくちゃ道路が狭かったので道路拡幅がされたのではないか
・旧市街の竹造の町屋がいつ変わったのか。経済的な変化が起こったのはいつか
・市街へのインパクトとは市街が広がることだけなのか。産業化によって政府の計画がなくても台湾の人が勝手につくっていく街を描き出したい
               
平場晶子 「人・道・法」
[発表]・研究のテーマ、興味のあることは変化ないが、プレーヤー・フィールド・ルールの参考対立の関係としてみていく
鈴木理生『江戸のみちはアーケード』を読んで江戸・明治・現在の道の変化を負う
・江戸の道では庇の下は基本的に私有地だが、銀座の大きな庇の下は公道と私有地が半分ずつになっていたが、下水道は庇の直下になっており関係性が曖昧だった
・道路に関する法律を書き出し、要素で分類をしてみた
[質疑]・スケートボーディングという観点で過去のことをやるのが良いのではという気がした
・路上における人々の行動とそれを支えるファシリティーズを見る
・江戸から明治までで通底していることは何かあるか
・車が登場して来る時にはどう扱うのか。プレーヤーとして、フィールドとして?

 

神崎竜之介「関東大震災後東京に建てられた銅板を使用した建物に関する研究—大正末期から昭和初期において−」
[発表]・築地周辺の銅板ファサードの看板建築のフィールドワーク
・銅のファサードの看板は建築年代が1920−1930年代と限られていると考えられるので、その当時の看板建築がつくられた社会的背景や流通状況を明らかにすることが出来るのではないか
[質疑]・銅は材料としてどうだったのか
・銅のファサードはお金持ちの人が建てたのか
・東京の都市の何を明らかにすることになるのか
・都市の防火技術としてモルタルに取って代わられるまで一時的に普及した
・銅板の表現に込められた意図とは何か

 

M2さとうあやな